走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「描く事」について思った事

a-katu.hatenablog.com

 上記記事はじめ、オレは事あるごとに「(絵やマンガを)描きたくても(家族などに)描かせてもらえない」者について言及して来たが、反対に「絵心もないし描きたくもないが、描かねばならない」者もいるんだろうなと、ふと思った。そのあらわれが、下記ツイートだ。

 写真機が出来、その後写真が普及するまでは、見たものを絵で記録せねばならん事は多かったろうし。と思っていたら、この件について「むかしは御用絵師や町絵師が記録担当となっていたケースも多い」と言う指摘があった。マー、そりゃそうでおますわなあ……。それでもむかしは「絵心はないけど描かねばならない」状況に置かれた人は少なくなかったろう。いい例がジョン万次郎の描いた鉄道の絵だ。『風雲児たち』で、万次郎は絵がヘタクソマンだったと言う解説とともに紹介された*1し。江戸時代は浮世絵などが盛んだったから、つい「今より肉筆の絵が上手い人が多かった」かのように錯覚していたけど、万次郎の鉄道の絵で「そう言うわけじゃなかったのね」と思うようになっていた。さらに(ソースなどは出せないが)「ゆるキャラみたいなカブトガニ」を見た時、記録係をせねばならん立場の者に絵心がないケースを想像したのよ。むかしは適材適所と言う考えも弱かったろうし、職業選択の自由が保障された社会でもなかったし。ところが、前述の指摘だ。流石に恥じ入るしかない。とは言え、むかしの人とてみんながみんな絵心があったわけじゃないと言うのはあるんだけど。大名などにも、絵が上手くない*2方がいたそうだし。ここからちょっと脱線するけど、この辺に思索を巡らせると、いわゆる「技術の進歩によって、人間はバカになる」史観とでも言った考えも疑わしくなってくるなと。前述のように「むかしは今より肉筆の絵が上手かった人が多かった」と言うのは錯覚だったんだし。ここから「文字の発明で人間の記憶力が落ちた」だのなんだのと言った「技術の進歩によって、人間はバカになる」史観に基づいた言説も、疑わしいなと……。とは言え、最初に述べた「絵心もないし描きたくもないが、描かねばならない」者はむかしは苦労したろうなと。そりゃ、記録をするために絵を描く必要がある者は、むかしは身分や経済力がそれなりにあったろうから、絵を必死に学んでいたかも知れんけど、それが辛い者だっていたろうな。してみると、現代において趣味・娯楽として絵が描ける者*3は、相当幸せな気がして来た。が、現代は現代で別の問題が立ちはだかっていて……。ウーム、である。なぜ岡留安則風。

 「現代は現代で別の問題が立ちはだかっていて」と書いたが、それについては今回言及しない。しんどいんじゃい。

*1:本当はもっとマイルドな言い方だったけど……。

*2:中には、名の通った絵師に学んだにもかかわらず。

*3:当然、オレもだ。