走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

過去は必ず人を慰めてくれるわけではない

 オレは中年なんで「むかしはよかった」と言いたくなる時もあるが、さんざんばら辛い過去の話をしてる事から分かるように、すんなりそうは言えないのだ。「むかしはよかった」なんてのは、過去が自分を慰めてくれると思い込んだ時に出る言葉であるし。だがオレは過去に辛い話が多いので、過去がオレを必ず慰めてくれるわけではないと痛感している。あの時こうしていたらと言う「たられば」は、山ほど出るがな。しかし「むかしはよかった」も「たられば」も、言えば言うほど自分を追い詰める。趣味の世界ならノスタルジーも悪くない*1が、人生は過去だけ見てちゃ進めんのだ。未来に不安はあるけど、それはみんな同じ事。「中年で金もないオレに、どんな未来があるんだ」と塞ぎ込んでいた時期もあったが、そうも言ってられないし。それに、1988年頃のオレの境遇を思えば、今はだいぶ良くなってる。もちろん万全と言うわけではない、解決してない問題もあるからな。

 とは言え、オレは1988年頃から、欲望と言うものがあまり進歩してないんじゃないかとも。絵を描きたい、描いた絵を見せたい、オレと話が合ったりする相手が欲しい……。もちろんそれが悪いわけではないのだが、なんだか過去の怨念に振り回されている気がして。それで、題名に書いた「過去は必ず人を慰めてくれるわけではない」に行き着くわけです。あの頃求めていた欲はある意味果たした、そう思うと次はどうするのかですよ。絵を描きたいについては止揚して、ライフワーク足りうるとは思うけど。過去に慰めてもらうだけじゃなく、未来……あるいはそこに生きてる世代……に何か遺せんかっつーか。そう思う事は、1988年頃の欲望より大きな欲を出してるのかも知れないし、こっちは叶えられる保証もない。でも、何かは遺したいんだ……。だから48歳になっても、絵を描いてるんやないかい。

 あらためて「過去は必ず人を慰めてくれるわけではない」件についてだが、オレがそう思うのは辛い過去が多いからだろうなあ。最初に少し書いたけど。過去のいい思い出の多くは、マンガやらアニメやら特撮やらゲームやらを楽しんでいた時の事だし。それらを楽しんだから、老骨に鞭打って絵やマンガを描くのかも知れない……もういい? あそ。でも、一時のように辛い過去に溺れて、何も出来なかった頃よりはずっとましだ。とは言え、前述の「解決してない問題」がいろいろあるのが。そのひとつが、辛い過去の反芻による恐怖の来襲や。ちょっと最近酷くて。

*1:それが証拠に、オレはNintendo Switchレトロゲームばかりやってる。