走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

赤の他人を動かす方法

 「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」と言う言葉が嫌いである。そりゃ「他人は自分の思うとおりに動いてくれる生き物ではない」と言う意味でなら分からんでもないが、今の日本では現状追認を強いる言葉になってしもうてなあ。だいたい、他人を自分の思惑どおり動かす方法がないわけでもないし。たとえば「落とし穴の上に、金貨を置く」とか。もっと言えば「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」と言う言葉だって、相手を黙らせるために使われがちなんだし。

 オレは、さんざん他人にいいようにこき使われた経験などから「赤の他人を動かす方法」と言うのはあると思っている。特に宗教が、それに長けている! 「宗教」と言うくくりも定義が揺れがちなんで、性質の悪い宗教団体と限定した方がいいか……。話を戻して、赤の他人を自分の都合のいいように動かすには、だいたい脅しと暴力がセットになっているものだ。悲しいけど。だから「宗教」を性質の悪い宗教団体に限定したのだが、そこばかり言ってても話が進まんので先を急ぐ。……つもりだったが、オレが体よく他人にこき使われた思い出が浮かんで来て、文章が進まなくなった。他人を動かす方法から「他人にこき使われない」生き方などを模索するつもりが、台無しである! オレ、そう言う事多いんだよ。文章書いてて辛い過去が浮かんで来たり「もうこの件については、何を言っても無駄だ」と、諦念が出たり……。それでも話を続けると、脅しや暴力に何度も屈して酷い目に遭ったため、反対に暴力でやり返したくなる気持ちもある。やったら犯罪だから、出来んけどな。と、書いてて、ますますこの話をする気になれなくなった。誰かが話を広げてくれそうにもない*1ので、この記事ここまで。

*1:そのためには前述の「落とし穴の上に、金貨を置く」事が出来んとダメだが、オレには金貨に相当するものをちらつかせる事も出来んし。