走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「復讐をあまりやらない国民性だから、忠臣蔵が流行るのだ」

 題名は『ウィザードリィ日記』で矢野徹が言っていた言葉だ。近ごろ忠臣蔵が廃れたのは、復讐とまではいかなくても、合法的に仕返しがしやすい世の中になったからではと思ったが、どうやらそうでもないみたいだ。

 いや待て、これは忠臣蔵をテレビでやらなくなった理由にはなるが、年末に赤穂浪士の討ち入りを思い出す者が減った理由とはまた違うような。赤穂浪士の行動も、いろいろ言われるようになったし。基本として、「主君が討ち損なった相手を、家臣が討つ」話だとツイッターで言われて、ある程度は腑に落ちたが。だから「忠臣」蔵なのね。してみるといわゆる仇討ちってものは、現代人には理解しづらいものなのかも。前述のように、合法的に仕返しがしやすい世の中だし。仇討ちと言えば、曽我兄弟は忠臣蔵より先に廃れたような。オレも全容知らんし……って、赤穂浪士の討ち入りの概要は知っていても、『仮名手本忠臣蔵』の全容は知らんかった。意外と物を知らんな、オレ。両者が別物だとは、漠然と知っているけど。

 ところで、オレは広島県人だから、浅野長矩の本家が藩主だもんで、赤穂浪士ひいきのローカルニュースが年末にはよく入ってきた。対して山形県の米沢は吉良義央の本家だから、あのあたりでは忠臣蔵は不人気だと言う。こう言う事情がぐっちゃぐちゃになったのも、忠臣蔵を語りづらくなった一因かも。

 本来は旧暦だけど、討ち入りの日に合わせたひとくさりを。