仮面の忍者赤影第一部のオープニングナレーション、「豊臣秀吉が、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃」って、太閤記が視聴者に広く知られていたから成立した構文な気がしてきた。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2019年10月25日
以前ふと上記のようなツイートをしたが、そこからいろいろ思索を巡らせた。オレが「子ども」じゃなく「視聴者」としたのは、一緒に観ていたであろう親の事を想定してである。赤影の放映された昭和42年なら、太閤記もまだ有名だったろうし。赤影の本編は、時代考証どこ吹く風な内容だったけどにゃー。ある程度の共通前提があれば、無茶が通りやすいって事か。これは上岡龍太郎の「むかしのヒーローは過去を描いていたから観ていて教養が身についたが、今のヒーローは未来を描いているから教養が身につかない」と言う言葉とは逆に、既に共通の話題を描いただけだったのかもと言う事で。
オレもそんなに詳しいわけじゃないが、昭和40年代の子ども番組における「誰もが知ってる」話を元にしたネタって、結構あるんとちゃう? 最初のアニメ版『もーれつア太郎』では、菊田一夫原作のラジオドラマの方の『君の名は』のパロディがあったし、『ハクション大魔王』では「あのねオッサン、わしゃかなわんよ」をもじって大魔王がよく言ってたし。時代とともに、「誰もが知ってる」話題が少なくなって、子ども番組に限らず、そう言うのをやりづらくなったような気はするが。今やテレビは「日本スゴイ」とか韓国の悪口で、ひな壇番組しか作れないなら、あまりに悲しすぎる……。