走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

じゃあ、間違っていたのか、オタクってのは?

 こんな連続ツイートをした。



 いえね、「コンジャラー」と言う言葉がタイムラインに流れてきた*1のをきっかけに、記憶の扉が開き、一連のツイートを。『ラジプリズム』の番組ハッシュタグに、このブログを見てる者がどれだけいるか分からんから、過去にこのブログに書いた話と一部内容が重複しているが、お気になさらないでください。話を戻して、果たしてオレはあの頃何をどうすりゃよかったのか? いがらしみきお風に言えば、オレは「知識を収集するのが趣味」なところもあるが、それを活かす機会が中学時代になかったのが。同じ知識を収集するにしろ、別のものを集めた方がよかったのではと思ったが、同時に題名のとおり「じゃあ、間違っていたのか、オタクってのは?」と言う疑問も。唐沢なをきの言うように、「虎の縞は洗っても落ちない」んだから、どうしようもないところはあるけど。

 しかしなんで、こんな悩みを抱えなければならないんだ。マー、就労支援施設で「聞いてない 誰もそこまで 聞いてない」と言う往年のオタク川柳そのままの事を繰り返したり、他にも人間関係でいろいろあれば、ついね。最初に貼った一連のツイートにも書いたように、最早かえらぬむかしと観念しなければならないところだってあるけど、自分の人間関係構築能力に疑問がないわけじゃないんだ。それをオタク趣味のせいにするのも、卑怯っちゃあ卑怯なんだけど。オタク知識を活かすには創作しかないと思って、あれこれやって来たが、まだ結果は思わしくない。荒木飛呂彦みたいなパッチワークの妙があれば、それなりに格好はつくと思ったが、オレは荒木飛呂彦ではなかった! なんで荒木飛呂彦かと言うと、ジョジョ第3部の「砂漠に立つ学ランの主人公」と言うのは、横山光輝の『バビル2世』からと聞いたもので。創作うんぬんに話を絞ると、最近は就労支援施設でいろいろやっているが、その過程でオタク知識だけではやっていけないのを感じたんだよ。では何が足りないのかを模索せんにゃならんが、今から分かるんかなと。オタク知識を手放したいわけではない、足りない何かでオレの創作を補完したいと言うか。いや待て、オタク知識の埒外にありそうなものを追いかけても、オレの事だからその対象のオタクになるな……。堂々巡りだ、こりゃ。あきらめてオタクとして余生を全うするでゴンスよ。

*1:そんなもん、タイムラインに平然と流れて来るのもどうかと。