走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「グローバル化」とローカライズ

 えー、またしても下記ツイートから話を。前回はデジャヴと言うよりフラッシュバックに近い事が起きて、あまりいい結果にならなかったので。

 「グローバル化」についてだが、作品を輸出する時には、実はローカライズをいちいちせねばならない事がある。かつてファミ通で海外でのゲーム事情が紹介された時、だいたいそう言う話が出たし。それはいいのだが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が海外配給された時に中国やイスラム教圏の国などでフレディ・マーキュリーのゲイとしての苦悩などが、バッサリカットされたと言うような事態もあったり。そうまでして売らにゃあきまへんか? と言いたくなるが、今それを言っても仕方がない。問題は別のところにある。

 全くローカライズをしなくて済むアレルギーフリーの食品のような結構ずくめの表現物はこの世にあるわけないのに、上記ツイートで批判されているような連中は、それを能天気に要求する。怖いねえ。なんで怖いかと言うと、簡単に何かをジャッジする者は、非常に残酷な事も容易に出来るからだ。たとえばローカライズのために改変された表現を無条件で悪とみなせば、表現の世界はぺんぺん草一本生えなくなるか、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」の勝者の一方的な供給になるかである。そして世の中、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」の勝者になれると、これまた能天気に考えている連中も多い。嗚呼。オレがファミ通の「アニメ絵」disをぐずぐず言っているのも、海外輸出のためにローカライズされた(されやすい)表現を、悪とみなしていたかのように映ったからじゃっ! それ以上は今は言わないけど。

 日本に輸入される海外作品も、日本でローカライズされる事は多いのも知っている。高桑慎一郎が何をやったかとか、いろいろと……。そう言うのを繰り返しながら、グローバル化*1は成されるのかも知れない。しかしながら、最初にあげたツイートで批判されているような連中の「グローバル化」は、自分ギメの価値観を、世界共通のそれと思い込んで言ってないか? オレにはそう見える。確かに、日本のアニメやマンガは「ガラパゴス」かも知れん。しかし、日本のガラケーから世界に広まった「絵文字」と言うものがあるように、「ガラパゴスの珍獣」だから世界に通じるものがあるのかもよ。日本のアニメやマンガもまた、先達は海外作品から学んでいた事だし。ここまで書いたら、だいぶ気持ちが落ち着いて来た。続きはまた、別の機会に。

*1:これは、あえてカギカッコを外して書く。