オタククリエイターは「虚構を体験する・作り出す自分」という形で自我を固めていくので、虚構と現実の違いは明快で混同することはない。バ美肉で腰を抜かしたクリエイターが多かったのは、自分の動きと同期する自分の描いたキャラを目の当たりにしてその自我が少し揺らいだからかなと思ってる。 https://t.co/DoNigLAzKk
— 未識魚 / 中川譲@Paris SWAY Gallery 11/27- (@mishiki) 2018年11月11日
オタククリエイターとて、全てが「虚構と現実の区別がついてる」とは言いかねるが、「普通の人」より物語をつむぎ出す訓練やら経験やらしているのは認める。いえね、以前人から「普通の人はマンガ描いたり、物語作ったりしません」と言われたのをこのツイートで思い出して。
オレが感じていた「オタクは虚構と現実の区別がついているか、否か」と言う問いに対する違和感は、そのオタクが「物語を作り出せる者か、否か」と言う追加の質問で消えるかも知れない。「創作する事への耐性」がある者は、その辺が峻別しやすいような。最初に引用したツイートにならうならば。
また、上手く言えないけど、前述の創作する事への耐性と言うか、創作活動の時に感じる「上手く行かなさ」への打たれ強さがある者が、創作を続けられるのではなかろうかと。そしてどうやらオレは、その辺の打たれ強さが「普通の人」に毛が生えた程度だったらしい。だってすぐへこたれるもんな、何かある度に……。それでも(見てもらえているかは別として)、作品をいろいろ残してはいるが。
……とまで書いたはいいが、なんか論旨が曖昧だな。最初に引用したツイートから、創作する者は「創作する事への耐性」がある分、「虚構と現実」とやらを峻別する力が強いのではないかと思ったが、それも「クリエイター至上主義」臭いしなあ。
まとまりがなくなって来たので、この話はここまで。