走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

大局

 まず、翻訳家の兼光ダニエル真さんのツイートを三連発。

 その1。以下引用。

200年前、奴隷制や女性を二級市民扱いしていたり、信仰心への侮辱から科学が制限されたり、権力者の気分一つで大衆文学がいくらでも規制されたのを今では野蛮で不公平で迷信に振り回されるかわいそうな人たちと蔑む。今から200年後、子孫たちは私たちの何を見て同じような思うと抱くのだろうか。

 その2。以下引用。

少なくともエロマンガで妄想を楽しんでいたり、虚像のアイドルに熱中したり、自由奔放に創作をしたりするのを人類史上の汚点とは思わない気がする。ゲーム、マンガや映画などの明白な創作の世界における想像上の犯罪行為を巡って議論が行われているのを失笑するのだろうか。

 その3。以下引用。

もちろん、未来は未来の人たちのものだ。しかし未来は私たちの軌跡の先にあるのだから無関係ではない。アレキサンドリア焚書がどんな影響を、同性愛迫害がどんな弊害を、北米コミック規制がどんな荒野を生んだのかを私たちは今でも見れるのだから「今どうなろうとも大局に関係ない」とは言わせない。

 ここまでで一つの文章の流れになっているので三つとも引用。本題は、三つ目の“「今どうなろうとも大局に関係ない」とは言わせない”と言う所にある。

 今は亡き友惟任さんが、二言目には「お前は(表現規制問題の)大局を見ていない」と言っていたし、松文館が刑法175条でしょっぴかれた時も「長い歴史の中で山だったり谷だったりするだけの事です」とも言っていた。これって、「今どうなろうとも大局に関係ない」と言っているに等しいのと違うか?兼光さんのように、それを強く否定出来んかったオレは大甘だ。大体惟任さんからして大局を見据えて動いていたわけではなく、表現規制問題については自発的に動いてなかったんだし……。

 死者に鞭打ちたいわけではなくて、今になって「こう言えばよかった」と言う話が浮かび上がったので書いてみただけでして。