走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「どうにもならない破滅」への恐怖

 永井豪の『ススムちゃん大ショック』で感じた恐怖は「親に殺される恐怖」「親に捨てられる恐怖」もさることながら、実は「どうにもならない破滅」に突如見舞われる恐怖が大きかったのだろう。だからと言って、永井を責められない。前述の恐怖を題材に創作をする事自体は、悪い事じゃないからな。問題は、作品に描かれた恐怖を受け止めた読者(オレ)が、そのあとどうするかだよ。それは家族からの「マンガと現実をごっちゃにするな」や「しょせん、ドラマ*1じゃないね……」ではどうにもならなかったし、「どうにもならない破滅」を避けるには、あるいは起きる可能性を少しでも小さくするにはどうすべきか(若干矛盾してるが)を話し合える家庭でもなかった。マンガに描かれた恐怖より、こっちの方がオレを苦しめてたんじゃないか……。『ススムちゃん大ショック』を読んだ小学生時代は「どうにもならない破滅」への恐怖をどうすればいいかと、家族以外の者*2に話せるほど能弁でもなかったしね。

 やっとこの辺の恐怖を言語化出来たかと思ったら、世の中が永井の描いたものとは違った意味での「どうにもならない破滅」が起きる可能性が高くなってる気がして。理由は上手く言えない。世界情勢がきな臭くなったとか、日本社会の「いばる順番」が上の者への忖度とそれを強いる同調圧力が強くなってるとか、いろいろ言えそうだけど決定的な理由にはなりそうにないし……。

 とりあえず、可憐な少年時代のオレの苦しみに鈍感だった家族が悪い! と言う事でこの話を終わらせてしまおう。

*1:フィクションと同義に捉えてもらいたい。

*2:教師とか、同級生とか。