走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おおおおお、おお……、おおおおお~!

 性的なさみしさを埋めようと、その手の店に行こうとしても怖くなり逃げ出すようなオレには、性的なさみしさを埋めるのは難しいのかも知れない。抱き合う時の安心感とか、そう言うのはオナニーでは得られないけど、オレはあきらめなければならんのかよ……。いや、去年の年末に「これ以上いい事はないだろう」みたく書いたが、そうではなかっただろう? あれでも何があるか分からんぞ。

 それにしても、オレは性的な意味でもその他の意味でも、さみしさを埋めるのが下手だと思っていたが、後者はそうでもないみたいだ。え? なぜですって? ニャン(ちょっとね)……って、「ニャン(ちょっとね)」だけでは何がなんやら分からんだろう? 詳しく言うと、最近人見知りが弱くなって来たようなんだよ。いろいろあって、「もうちょっと愛想よくした方がいいかな」とか、対外的な体裁を考えるようになったし。だからと言って、モテるようになるとは思っちゃいないが……。むかし狂人に惚れて大火傷したのを思い出すと、モテてもあぶない奴がよって来るだけではないかと不安に。

 性的な意味のさみしさに話を戻すと、オレがうっかり性的な意味のさみしさを埋め合わせる術を知ったばっかりに、最近こたえるようになったのかも。いや、性的な意味抜きのさみしさも自宅にいる時ひしひしと感じているから、孤独そのものがこたえているんかな? そう言う事をいろいろ考えられるようになったのも、自暴自棄が薄まって来てからなんだよな。自暴自棄から来るセルフネグレクトなどをどうにかしたいとか考えられるようになって来た時期と、性的なさみしさが強くなって来たのとは、だいたい近い時期の事だし。自暴自棄になっていてもいい事はなかったが、自暴自棄が薄まったらこれか。やりにくいんじゃい、うああああ。

 しかし、その手の店が怖いようでは、にっちもさっちも行かん。出会い系も、最近は新手の美人局(つつもたせ)が横行していると言うしなあ。金の問題じゃないな、これは。