走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

急に自分が情けなく

 なんか急に、自分が情けなくなって、げんなりして来た……。収入が増えるでもなければ、また仕事が出来るようになるわけでもなし。このままみじめに人生を終わるのかと思うと、今までして来た事は何だったんだとか、いろんな思いが襲って来てなあ。

 もう、人生を終わらせた方がいいのかも知れない。しかしそれでは、納得してくれない者がいるが。どうせみんな、いつかは死ぬのだ。オレの場合、それが今だったと思ってくれないからなあ。……いかん、疲れてる。しかしどうすりゃいいんだか。

とっくに人生詰んでいた

 いろいろ考えたが、オレの人生はむかしのある段階で、とっくに詰んでいたのではなかろうかと。自分の幸せと家庭の安定は、両立し得なかったし、オレがマンガ家になる出目もなかった。今や生きる屍でしかないような、トホホ。

 やけくそ気味に、マンガを描いていたけど、それで人生が好転するわけでもなし。あー、つまらんなあ。悔しいなあ。そもそも今描いているマンガだって、20年前に描いていればよかったものを……。なんで20年もいちびっていたのじゃ。マー、タイミングみたいなものがあったんだろうけど、だとしたらちと遅すぎたような気もする。20年前には勤め先で殺されかかっていたから、精神的に参っていたのもあったんだけど、なんかいろいろと損しているなあ。だから詰んだんだっての、オレの人生!

両論併記すれば公正とは限らない

 題名のごとく、「両論併記すれば公正とは限らない」と最近言われるようになって来たが、出来ればそれは20年以上前に定着して欲しかった。何の話かって? いえね、ゲーム批評がかつて「ギャルゲー賛否両論?」と言う特集で、両論併記の形を取りいわゆる「ギャルゲー」への口汚い悪口を掲載していたのでね。ゲーム批評は「中立」をうたっていたが、「果たしてこれって、本当に中立なやり方なのかなあ?」と言う疑問が、当時のオレには湧いていた。もし当時、「両論併記すれば公正とは限らない」と言うのが定着していれば、ゲーム批評の詐術を見破るのもたやすかったのに。

 もう一方の論があまりに稚拙だったり、すでに否定された物だったり、嘘だったりする場合は併記すべきではないと言われるようになって来たが、我々はそれをもっと早く気付くべきだったのかも知れない。それにしても、なんでゲーム批評は、長らく「中立」であるかのように思われていたんだろうか? 今さらどうにもならねえけどな。