因果応報は危険思想
ゆうべ、『ねほりんぱほりん』で宝くじで1億円当てた人や一千万円当てた人に話を聞いていた。その人たちは口々に「当選前にいい事をして運気を貯める」みたいな事を言っていたが、運気を引き寄せるためにいい事をするのは、いささか本末転倒な気もする。新約聖書には、「右手がしている事を、左手にも知らせるな」と言う言葉がある。いい事をしようとしたら、そこまで徹底した方がいいような。
いえね、当選者の言ういい事と言うのが、オレが時折具合がよければやっていたような事だったので、ならばオレにも運気が向いて来てもよさそうなものをと思っちまったので、つい。そこからさらに恐ろしい事に、「いくらいい事をしても、オレは両親のしでかしたあれやこれやのせいで、運が回って来ないのでは?」とまで考えるように。そう言う因果応報思考が、一番危ない。前世がどうたらとか、危険思想に行き着きやすいからな。危うくむかしのゲン担ぎ思想に逆戻りするところだったわい、くわばらくわばら。つるかめつるかめ。
……この数年、外れっぱなしの人生なんで、一千万円くらい懸賞かなんかで当たらんもんかね?
人生終わらせたい
ああ、こんな人生早く終わらせてしまいたい。ところがそうはいかんのだっ! せめて再来年の3月くらいまでは生きていたかったが、世間が死ね死ねと迫るんだ……。いささか矛盾しているが、「死ね」と言う世間の無言の圧力が、自分の人生が詰んだと思わせてなあ。どうにかせんといかんが、どうにもならない。……こんな事書かずに、休んでいた方がいいな。もう、限界だよいろいろと!