題名は『ファイヤーマン』の異色作「地球はロボットの墓場」のもじりだが、今の生成AIの使われ方やガイドライン作成を巡るゴタゴタなどを見ると、言いたくもなるわさ。なんだか自動車にたとえると、ベンツの創業者が「馬車より経済的」だと証明するかしないかの時期に排ガス問題や交通戦争まで同時に起きたような混乱だ……。
さらに風の噂によると、その二次創作の扱いは同人用語で言う「ナマモノ」*1に近いウマ娘のエロフェイク画像を生成AIを駆使して作り、元絵の作者に濡れ衣を着せている奴がいると聞くからなあ……。あな怖(こわ)や、あな怖や。海原雄山じゃないが「馬鹿どもにAIを与えるなあっ!」と、言いたくなる有り様。これらがあっても、生成AIはいろいろ交通整理が行われたり*2して普及していくんだろう。その先はどうなるかオレには分からんが、人間の絵描きがいらなくなるわけではなく、人間様が余計忙しくなるんじゃないかとは思う。AIを扱えるかどうかが、やれる事の閾値に加算されて。……書いててげんなりして来たわ。どうにもこうにも、茨の道が待ち受けてそうで。
オレはここまで、絵の生成AIを想定して話をして来たが、文章やプログラムのAI分野には、オレの想定してないいろいろがありそうなんだよな。そこまで考えちゃいないけど。しかし今の翻訳AIは、直訳は出来ても「君の瞳に乾杯」とか「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」*3みたいな訳文は作れない気がする……。この先、文化の有り様は変わるな。いいか悪いかの判断はしないけどよ。