走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

思い出の反芻の限界

 前にツイッターにも書いたが、オレは良し悪し問わず「思い出」を反芻して生きていた気がする。しかも、悪い方を中心に……。そのため、新たな情報や経験の吸収が阻まれていたのです。この数年で一番状況が動いたのは、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)関係の事だったが、あそこにたどり着けたのも「絵を描きたい」と言う、過去のいい思い出に紐付けされた動機からと言えなくもないしねえ。サブカルBCでAdobeイラレはじめ、ひとりでシコシコ絵を描いていたら扱う事のなかったソフトのスキルを身に付けたりを考えれば、悪い思い出を反芻して孤独に生きてもしょうがないなと思う。そう気づくまで、人生の浪費が長すぎたとも思うが……。いや、見方を変えれば全てこれからなのかも知れん。その辺は、来年の課題と言う事で。今年の残り日数、少ないし。

 思い出を反芻して生きていたのは、それだけ未来や自分の将来に希望が持てなかった証左だが、反芻を続けるのも限界が来たのかもな。せめて、悪い思い出の反芻は改めねば……。と言うか、多くの悪い思い出とて、一方的な被害者はオレだった気がしてならない。嗚呼。悪い思い出の反芻から「なにくそ」と発奮した事もあったけどねえ。いえね。中学時代、同級生の多くが文化・芸術に無理解だったせいで、将来への危機感を持つようになり、表現規制反対派になったとも言えるので。しかし、それも行動のためのエネルギーが続かなければ辛いし、今は悪い思い出の反芻がオレの足を引っ張ってるんだし。

 ちょっとごちゃごちゃ言いすぎた気がする。このままでは、ますますオレは前に進めねえ……。