亡き友、惟任さんから生前「お前は自分の目の前に扉を設け、そこをパスしたものだけ受け入れている」と言われた事は何度かこのブログで言った。最初言われた時は「そんなの、誰だってしてる事やがな」と返したものの、その扉とやらが、近年あまりに堅牢と言うかパス出来る条件が厳しくなっていったのに気づき、愕然としている。詳しい話の前に、このツイートを見て欲しい。
オレはマンガを描く事は出来ても、読む事にはとことん向いてないみたいだ……。何故かは聞くな、言う気力はない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年10月1日
嫌な作品(とその作者)への恐怖や恨みを30年以上引きずってしまう性質のオレが、マンガが洪水のように出る現状に耐えられるわけがない。自分で描くのは好きなんだがな……。さて、どうしたものか。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年10月1日
マンガに限らず露悪と言うものが、非常にとってもすごく苦手やしねえ……。と言うか、大手出版社がオレのマンガを三顧の礼をもって売ってくれればねえ……。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年10月1日
すまん。げんなりして、くだらん事を言ってしもうた。ちくしょー。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年10月1日
自分にとって趣味に合わないマンガの告知がツイッターなどに流れた時のげんなりの酷さから、つくづくこう思ったのじゃ……。それもこれも、自分の目の前の扉を堅牢にしすぎたのが一因だと思う。ネットで悪目立ちしたがる連中など他の要因も考えられるが、そっちは本筋にすまい。キリがねえもんな。ネットに限らず、世の中の露悪の跋扈で自分の目の前の扉を堅牢にしちまったのはあるけど……。この10年以上、マンガにしろ映像作品にしろ何にしろ、途中で不安や嫌気が襲って来て見たり読んだりが続けられなくなる事が多いけど、それも持病などで目の前の扉が堅牢になったせいだなと。そんなに他人の作った物語が嫌なのか、オレは。性に合わない物語を、家族から北京ダックに餌やるみたいに無理矢理入力させられた時期の反動もあるんだろうけど、マンガ家として生きて行く上で相当まずい事になってるぞ……。他人の作った物語を恐れている限り、他人の表現から学ぶ事が出来んのだからな。
と言うわけで、これからどうしよう。自分の目の前の扉の堅牢さと、他者への恐怖がコインの裏表だなとは思うが、そこをどうしたらいいかが分からん。絵やマンガを描く事のリハビリは出来ているが、他人の作った物語を受け入れるリハビリって、どこでどうすりゃいいのか。物語と言うものへの拒絶反応から、気が付いたらマンガ・アニメ・ゲーム系の画集は見られても、物語性のあるものからは物凄い勢いで遠ざかっていたし。
それで思い出した事をひとつ。22年くらい前にCSでパワーレンジャーシリーズを放映していた頃『電磁戦隊メガレンジャー』を下敷きにした『パワーレンジャー・イン・スペース』の冒頭でそれまでのシリーズのボスキャラが戦勝祝賀パーティを開いているのを見て「じゃあ、それまでのパワーレンジャーたちの戦いは、何だったの!?」とショックを受けた*1事が。いくらなんでも気が弱すぎだろう、オレ。こんなんじゃガキの頃の方が、物語への受容力高かったんじゃないのか。齢(よわい)を重ねて行くうちにいろいろあって、物語だけじゃなく世の中自体が怖くなったのはあるけど……。さらに統合失調症を患ってから、前述の気の弱さは加速したのかも知れないし。
ここまで書いていて、オレが過剰に酷い事ばかり連想してるんじゃないかと思えて来た。確かに「現実で」さんざん酷い目に遭ったけどよお……。いや、夢も希望もない劣悪な環境がオレをいびつにしたなら、これから少しでも自分を矯正すればええ……。悩みすぎてたよ、オレは。
*1:イン・スペースの最後にいろいろあって、ボスキャラたちは倒されるが。