最近の西原理恵子周辺の話を漏れ聞くに、むかしオレが思った「『アニメ絵』や『萌え絵』をけなす奴に、ろくな奴はいない」を、撤回したのは間違いだったかと思い直した。いえね、西原は自著『サイバラ式』やセガサターンマガジンでの木村知歌との対談でちょっと。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年6月4日
「ちょっと」じゃなくて「文字数」の方がよかったか。いや、単にサイバラが外道なだけかも知れん。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年6月4日
これ以上、サイバラについては言及しとうない。心底DQNだったとしか言えない輩の話をするより、家事やら絵の練習やら、する事がある!
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年6月4日
今の西原理恵子について言及はしたくなかったが、こんな事を言い出すオレの複雑な心境を分かってくれ。ツイートに書いてなかった事も、ふたつあるんだよ。ひとつは、80年代後半から90年代前半のサイバラのマンガには見るべきところがあったんだ。たとえば『ゆんぼくん』と言う4コマで、主人公ゆんぼの母親が死者と言うものについて「死んじゃった上に怖がられて、バチが当たるなんて言われたら、ふんだりけったりだねえ」と言うくだりがあった。そう言う視座が、むかしは気になっていたが……。もうひとつは、オレの創作に関係する問題。サイバラが自分の娘を、当人が嫌がってるのにネタにし続けた事は、曲がりなりにも「エッセイマンガ」と銘打った作品を3年も描き続けてるオレには他人事とも思えず……。それに、昨年のス-パー戦隊シリーズの『機界戦隊ゼンカイジャー』で、マンガ絡みの怪人が「人を勝手にマンガにするんじゃない!」みたく戦隊側に言われた*1ような時代やし。それもあって、きょうびエッセイマンガなんて描く奴が悪いのかと要らん心配が出たあと、サイバラの外道さに余計腹が立った。
漏れ聞いた今回の件*2で、サイバラと言う奴が心底DQNか残酷な奴ではと思い、ごちゃごちゃ言ってしもうた。オレの記憶と総合すると、彼女が「気に入らないもの」*3に対し、すっげえ冷酷な態度を取れる輩だと言う結論に達したけど、別の意味でスッキリしない。前述の、我がエッセイマンガの事だよ。サイバラみたいに家族をネタにしてるわけじゃないが、オレもいつ「関係者からの報復」を受けるか分かったもんじゃないなと思えて。かつての桜玉吉が言ってた「マンガに描かれたくないなら、俺の前に姿を現すな」は、もう通用しない時代だと感じて久しかったけど、再認識した。どこかで誰かを踏みにじってないか気にはなるよ、エッセイマンガ描いてると。生前サイバラのマンガを評価していたみなもと太郎も「漫画も一個の作品とはいえ、公の刊行物である以上、社会の人権意識の高まりと無縁ではいられない」*4と言っていたしなあ……。