走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

マンネリなんかは、なんのそのー!

 ふと思ったんだが、マンネリと言うのは決して悪いことではない気がしてきた。かつて星新一が「常に星新一と言う作家にはじめて触れる読者に向けて、文章を書いている」と言っていたが、逆に言えばそれは「マンネリを恐れない」覚悟もセットじゃないと難しい決意ではないかと。星は「焼き直し」を嫌がってもいたけどにゃー。

 何が言いたいのかと言うと、我々はマンネリとかベタをもっと見直すべきかと言う事をね。ネットに「あれはパクリだー! これもパクリだー!」とうるさい*1連中がいるのを承知で、こう言わざるを得ない。『描きたい!!を信じる 少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方』と言う本のかなり早いページに「パクリ」と言われる事を気にする初心者へのアドバイスが載る時代だから、尚のことね。洪水のようにコンテンツが作られ、消費され行く現代だと、もうマンネリもベタも恐れていられないのではと。オレもベタとかマンネリを敵視していた時期があったけど、それでも出来るものはベタから逃れられてなかったし。それでオレは「ベタを恐れてはならない」と思い直した。マンネリは怖いけど、志村けんが生前言ったように「マンネリになる前に消えるよりはいい」のではとも。とは言え、居直り強盗みたいに開き直る事はまだ出来ん。ベタでもマンネリでも面白く見せられれば……。それが出来ておれば、商業ベースでマンガ描けていたけど……。今や「マンガで銭取れる身じゃねえ」とあきらめているが、それも悪い形での開き直りみたいで。話がそれた、元に戻そう。

 パオロ・マッツァリーノさんが『キルラキル』を評して「ベタとオリジナリティは両立する」と言ってたが、マンネリはそうはいかないところがあるからなあ。それでも恐れてはいかん、最初に少し述べたように、自作をそれにはじめて触れる者に向けると言うのは「マンネリを恐れない」覚悟もいるんだから。

*1:けど的外れな事が多い。