走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ひとつの時代の節目が

 広島市内のショッピングビル、「サンモール」で、上の写真にある知らせを見た。長年サンモールにあったマンガ専門店『コミコミスタジオ』が、アニメイトビルと呼ばれる建物に移転すると言うものだ。写真を見ればお分かりかと思うが、近年は女性向けに特化しているものの、むかし……90年代は広島市内でマンガを買うならここと、なんとなくやっていた。これもひとつの時代の節目か。サンモールも、建て替えるとか言っているしねえ。

 さて、ここからは少し長い自分語りまじりの余談になる。コミコミスタジオと言う店名は、初代の店長が白泉社と交渉して、かつて同社が出していたマンガ誌『コミコミ』の名前を拝借したとか。そしてオレは、その店長に何度かマンガ執筆に関する相談をした事があったのだが、肝心の「完成したマンガ原稿」を見せたためしがなかった! 何をいちびっていたのだ、むかしのオレ。もし、タイムマシンが今使えたら、当時のオレを半殺しにしてやりたい。ヤハリオレはマンガ家になれない運命だったのかも知れない、肝心の作品を描こうとしなかったのだから! そりゃ、「締め切りが、あると描けない。ないと描かない」とは言うが、それにしてもなあ……。

 写真の知らせを見て、むかしの思い出がいろいろ渦巻いて思い出されたので、ついこんな話を。しかしながら、なんでむかしのオレは、もっと作品を描いてなかったのか? マンガ家あきらめた近年の方が、よっぽどマンガに取り組んでいるわい。マー、1996年頃から、うつ病みたいな症状と思しき兆候はあったようだが。いずれにせよ、クソみたいなくびきを背負ってマンガ描いていたのは事実だ。他にも家族がさあ、「ああしろ、こうしろ」うるさかったし。あと、パソコンでマンガを描ける環境が整ったのも大きい。これでオレは、大量のスクリーントーンを買わずに済んでるしなあ。

 そういや「締め切りが、あると描けない。ないと描かない」で思い出したが、デジタルでのマンガ描きは遅々として進まない。締め切りも設けず下描きまでこぎつけた(しかも精神病を抱えつつ)だけでも、相当な労力は要ったのだが。さらに話は変わるけど、コミックスタジオでのカラー原稿は描きにくい。描いているマンガはモノクロだが。