走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

憎悪の宗教

 今にして思えば、エホバの証人は口で愛を言いながら、その実憎悪の宗教だったのではなかろうか?

 彼らは世間をサタンの支配する「この事物の体制」と呼び、それがハルマゲドンで滅亡する事を望んでいる。この時点でかなり愛とはかけ離れているが、今はどうか知らんけど自分たち以外の人々を「世の人」と呼んで、証言(布教)の時以外あまり付き合わないように言ってたりもしてた。どんどん愛から遠ざかって行くね。

 マー、言ってしまえばこう言うのはキリスト教の「キリストの再臨による人の世の終わり」と言う教義から来る問題で、エホバの証人に限った話ではないが、自分がひっかかったためになあ……。話を戻して。エホバの証人は愛を唱えているように見えて、信者に憎悪を植えつけて行くのが洗脳と言うか教化のプロセスで顕著だ。見聞きする物を制限したり、前述の通り人付き合いを制限したり……。さらにはハルマゲドンで滅ぼされ、救われる事無く死んで行く者が出るかも知れない事に対しても「それは仕方がない事」と言い切る始末。どこに愛がございましょう?

 しかしながらそんな連中でも、外面にぶら下げている愛が我が家庭より潤沢に見えたのよ。だからつい話を聞いて、洗脳と言うか教化されたのだが。家族に「悩み事を俺に持って来るな」とか、「死ぬんなら勝手に死ね」とか言われ続けていればなあ……。

 愛とか希望とか、ないならないなりに生きると言う生き方もあると今では分かるのに、若い時分はそれを受け入れられなかったのもなあ。誰でもそうなのかも知れないけど、オレの人生選択ミスだらけですよ。