走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

突発的に思い出すが

 またしてもツイッターに出てきた言葉。以下に引用する。

何かを「好き」というときに、わざわざ「嫌い」なものを比較対象として持ち出した文章に納得できたことが一度もない。それを「好き」な人にとっては閉鎖的(宗教的)な強度が生まれたとしても、そのコミュニティー以外の人に響きようがない。きっと自分の「好き」に自信がない人なんだろうなあと思う。

 この言葉、ファミ通(だけとは限らないけど)が洋ゲーを褒めていわゆる「ギャルゲー」やアニメ絵をけなすのにまるっと当てはまる。私にもこれ位的確に、ファミ通などのゲーム誌編集部に言えるアタマが十数年前にあったら!今頃運が開いていたかも知れないのに!喧嘩過ぎての棒チギレ……。

 今のファミ通の誌面がどんな誌面なんか読んでないから解らないけど、プレステ2にDVDプレイヤーとしての側面が出てからアニメの悪口言いづらくなってりゃいいが。そうすりゃオレが突発的に思い出して、出来の悪い豆腐みたいにぐずぐずと言わんでも済むのに。

 覚えている限り1987年から1998年までの合間に、何回も話者が交代してはいわゆる「ギャルゲー」やアニメ絵の悪口をファミ通は書き続けていた。これはあまり褒められたもんじゃなかろう。他のゲーム誌も目くそ鼻くそだが、現在発行されているゲーム誌の中で一番の老舗であるファミ通の負の影響力とかも踏まえると、ヤハリ。

 昔あるゲームメーカーの人が、ファミ通の事を「ファミコン*1誌でありながらファミコンが趣味であることに否定的」と評していた。私も同感である。

 この話をすると人から窘(たしな)められるが、私だって好き好んで蒸し返しているんじゃない。今回の場合、ツイッターで自分が漠然と思っていた事を見事に言語化している人を見つけたので思い出したのであって。

 マー、何かを褒めるマクラに何かを貶すのはイケてないと言う事で。これはゲーム誌に限った話ではないし。

*1:当時ファミコンが広義のテレビゲームを指す言葉でもあった