走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

つまらん人生なのに

 人の勧めでエッセイマンガを描いているが、自分の過去を掘り返す行為はかなり苦痛である。オレは学校ではDQNに苦しめられ、中学卒業したら宗教に引っかかり、勤め先で殺されかかり、マンガ家にもなれなかった。こんなつまらん人生、いくらマンガにしたって誰も見向きもしないのではないか? と思うが、勧めた人は勧めた人なりに勝算があっての事なんだろうから、ためしにやってみてるんだけどヤハリ……。

 小林よしのりのゴー宣や、あさりよしとおの『重箱の隅』みたいなオピニオン的なエッセイマンガもあろうが、今までの人生でほとんど意見を聞いてもらえなかったから、そっち方面も自信がない。しかしながら、やってみなければ分からないところもあるので、試してみたい自分も内面にあったり。もし、エッセイマンガすら見向きもされなかったら、どうしようもないが。

パソコンの調子が悪い

 なんか知らんが、パソコンの調子が悪い。これでは落ち着いて作業が出来んな。さて、どうしたものか。

 話は変わるけど、最近「もうやだ、この人たち」と言いたくなる話題が多すぎて、手に負えない。現実逃避気味に絵やマンガを描いていたが、誰も見てくれないものをひとりでシコシコ描いていても、なんにもならないような。ツイッターでの不毛な争いに巻き込まれるよりは、ずっと有意義であるがヤハリ。せめてオレが、一回のツイートあたり2000前後のインプレッションをはじき出す程度に話が注目されていれば、こんな風に愚痴らなくても済むんだが。なったらなったで、クソリプの心配をしなければならなくなるだろうが。

何を言っても同じ事だと言う諦念

 ツイッターで発言する事やエッセイマンガを描く事に躊躇しているのは、「もう、オレの口から何を言っても同じ事だ」と言う諦念が日増しに強くなっているからだ。マー、ツイッターが140文字縛りで、複数のツイートにまたがったスレッドを作る事が出来るようになったのがつい最近の事だったりして、長文を書くのに向いてないメディアだったから、言いたい事をこのブログに書き続けていたのも話を聞いてもらえない一因ではあったのだが。それらを差っ引いても、人に伝わる物の言い方が出来そうにない諦念は残るが……。大体、どこの馬の骨ともつかないオレから言われたとして、行いを改める者がどれだけいる事やら。つまらんなあ、悔しいなあ。生きていれば何か言いたくなるので、さっさと死んだ方がいいのではないか? と言う極端な考えが出る事もある。なんでオレが、世間のクソみたいな連中のせいで死ななければならんのよっ!? とも思うが、最近そんな強気が失せている。嗚呼。