まず、この一連のツイートを見てもらいたい。
昔は児童文学的な本でも、普通に何も着てない人魚が多かったような覚えがあります…。
— 弓長九天 (@yumilimi9) 2021年9月24日
「ははあ、人魚は裸が普通なんだから、それを気にしない君子の心を持てという事だな」と思って不動心を養う努力をしてたもんです。
しかるに何だ昨今の世間のザマは。
女キャラに胸があるだけで騒ぎやがって。 https://t.co/rcvqZINbVc
君子には文武の徳が備わり男女には乾坤の徳があるにも拘らず、坤徳の極致である『 お ち ち 』を犯罪の如く糺弾するのは人間性への敵対に他ならぬ。
— 弓長九天 (@yumilimi9) 2021年9月24日
従って君子たる者『 お ち ち 』を攻撃する者を武徳と慈悲の心を持って撃滅するのみじゃ。悪を砕くは人類への仁慈じゃ! おちち万歳!
(というわけで、まあ中途半端に思想をかじると、こういう風に自分の欲望を正当化するために都合よく思想を捻じ曲げる奴が出てくるからコワイですねー。人権とか自由とか愛とかの思想も必ずこういう奴が出てくるからコワイんですねー中途半端は。コワイですねツイッター)
— 弓長九天 (@yumilimi9) 2021年9月24日
人類の半分が持ってる身体的特性が目についたからってなんのかんの大騒ぎする前に不動心を養う努力でもすりゃいいのに。まずは「自分と全人類は永久に中途半端だ」と気づくことだぞ。
— 弓長九天 (@yumilimi9) 2021年9月24日
(妄言)
このツイをした弓長九天氏、20年前まんがタイムジャンボで『さゆリン』と言う妙な4コマを描いていた方だ。それはいいとして、このツイ、実は本気でない詭弁かも知れない。弓長氏が過去に自らの個人サイトでした発言*1と照らし合わせると、そう思えて。題名にも書いたように、某「ポリコレアフロ」の詭弁よりは傾聴に値するが。「自分と人類は永久に中途半端だ」とか、特にね。そう思わんと、自分の思想をごり押しするだけになりかねない。実際、今の表現規制反対派の結構な数が、そうなってるし……。かつてのオレもそうだったと言えるし。だけど待ってくれ、感情論による思想のごり押しをお互い続けてると、結局は「フェミニスト」も表現規制反対派*2も、規制を望む権力者の餌食なんじゃないのか。ここ数年、その懸念は増幅するばかりだ。そらまずいだろ。しかるに、今の表現規制反対派はなんじゃい! 多くの者が自民党を疑わん*3やら、はなはだしきは「人権は国が与えるもの」と言う言葉に手もなくひっかかるやら! ……こう言っても、今のオレには何の力もないため泣きたくなるが、泣くに泣けない。
話を弓長氏のツイートに戻そう、肉体的な性差をどう扱うかは議論の分かれるところだが、確かに弓長氏の言うように不動心で流した方がいい時もあろうに。あと「フェミニスト」*4や、それに追従する連中の騒ぎ方に、人間の身体に対する不信や憎悪を感じないでもない時があって、オレはそれも気になっていたが、弓長氏の一番最後のツイートは近いところを突いているように思えて。もちろん、実在の人物を性的にねめつけたり、その容姿をおおっぴらに採点したりはいかんが、最近の状況からは身体に対する不信や憎悪にも通じるものを感じてなあ……。そこんとこ赤旗に投稿しようかしら、今の赤旗が取り合う可能性低いけど。北原みのりを紙面に登場させてるし。
自分の身体と心の性の乖離については、いわゆる「バ美肉」とかも埋め合わせに使えそう*5な気がするし、VTuberにもその可能性の一端くらいあろうに、松戸の件は非常に残念。身体的特徴を表層だけあげつらっているのは、フェミニズム議連と件のVTuberと、どっちなんだか。「フェミニスト」の表現への抗議などに感じる、人間の身体に対する不信や憎悪については、また何か言う気になれば。