この記事の続き。ファミ通のマンガ大賞が終わり、その後ちょこちょこと同人活動しながら、宗教から離れきった1995年頃エニックス(現スクウェア・エニックス)の4コマ誌に一回応募した。それもダメ。そして、それからマンガが描けなくなった。多分うつ病だか統合失調症の陰性症状っぽい症状だかが出たんだと思う。その後、1997年に症状に気付かないまま就職し、勤め先の鉄工所でどつかれ、ののしられ、挙句の果てに殺されかけ……。「いつかマンガ家になってやる」と言う気持ちで耐えて来たが、作品はいっこうに描かない(描けなかった)。翌年鉄工所を辞めたあと職業訓練で日商簿記の資格を取ろうとしたが、それも上手く行かず。この頃初めて東京の夏冬のコミケに参加して、「ヤハリ東京は違うなあ、ここにサークル参加出来るようになりたい」と思うが、相変わらず作品は出来ない。思えば生き腐れて行った時期であった。この頃精神科で治療を受けていたら違ったのかも知れないけど、それは色々と許されなかったし。書いてて悲しくなって来た……。と言うか、ひとりで描いて行くのに限界が出たのかも。この時まで全然、身近に絵や(描く方面での)マンガの話が出来る仲間がいなかったし。文通とかしていた相手はいたが、それも長くは続かなかったしねえ。(続く)