走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

安部公房の言葉に、もっと早く出会えていたなら……

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 いつまでアップされてるか分からんが、NHKの「読むらじる」から上記記事を貼り付けておく。この中で気になった安部公房の言葉を、リンク切れになった時の事を考えいくつか引用する。

弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている。

弱者を哀れみながらもそれを殺したいという願望、つまり弱者を排除したい、強者だけが残るということなんだね。

たとえば発明・発見などを考えてみても、弱者が自分の弱い欠落を埋めるための衝動じゃないか。(中略)衣服を例にとってみようか。非常に体が強健で、寒くても平気な奴には衣服は要らない。すぐにブルブルッとくる奴が寒さしのぎに衣服を発明する。そういう弱者の組織力というものが、社会を展開し構築していくわけだ。

強者の論理に対しての弱者の復権、人間の歴史っていうのは根本的にはそうなんだね。逆に言えば弱者のある部分が強者に転化していく歴史でもあったわけだ。(中略)よくよく見るとそこに踏まえている一つの殺意みたいなものが我々の未来に対する希望みたいなものに水をさしてる部分が非常に多いわけだ。

人類の歴史は弱者の生存権の拡張だった。社会の能力が増大すればするほど、より多くの弱者を社会の中に取り込んできた。弱者をいかに多く取り込むかが文明の尺度だったとも言える。

 ……一番最後の言葉に、もっと早く出会えていたなら。少なくとも、藤子・F・不二雄の『間引き』とか『気楽に殺ろうよ』なんて読む前によおーっ! 安部公房もSF作家と言えなくもないし、結構酷い話も書いていると漏れ聞くけど……。それでも「弱者をいかに多く取り込むかが文明の尺度だったとも言える」と言う言葉を若い頃に知っていれば、こうまで世を拗ねなくてもよかった。ところで、アニメ映画『オネアミスの翼』には「工業が市民を平等にしたんだぞ」「集中する資産を広げたんだよ」と言う台詞があるが、近いところを突いているような。と言うか、オレが世の中の悪いところを見すぎたのかも知れないけど。

 と、書いていて話が続かなくなった。自分の中にも「弱者への殺意」があるんじゃないかとか、その殺意は自分に向いているんじゃないかとか、思うところはあるけど……。