黙っていても状況が良くなるわけじゃないから、今日からブログ再開する事にした。
しかしなー、この数年の「ネトウヨ」の台頭に対し、何も出来なかったのが悲しい、辛い、腹立たしい。この数年、具合が悪かったのも事実なんだが。だからげんなりしていたのだけど。クズみたいな「ネトウヨ」(一応、カギカッコは付けておく)を批判してもダメ、ましてやぶち殺す事も出来ない。ならばオレが死んだ方がいいのかなあ……?
二言目には死を口にするのって、我ながらちょっと危険だな。それだけ、世の中や自分に対して絶望しているんだが。絶望はしても、諦めてはいないと思っていたが、最近はそれもあやしくなって来た……。気晴らしなと出来ればいいのかも知れないが、なにやってもすっきりしない。気も休まらないし、第一どうすりゃ休めるのか。寝ても起きても、辛い。
こう言っちゃなんだが世間の物書きには、「安全圏から痰唾を吐いて飯を食ってる」のが少なくないような。誰とは言わないけども。
そして恐ろしい事に、ネットで爆発的に「文章を書く」者が増えて、飯を食うまでには至らないものの、「安全圏から痰唾を吐く」奴らも増えたのだ! ああ恐ろしい。それを多様性の副産物としてある程度は耐えるべきか、前から繰り返している「人間、『見下せて、抵抗してこない相手』にはいくらでも酷い事が出来る」事の証拠として見るべきか。この両方にそれぞれ見えるから、どうしたものか悩んでいるのだ。実際、ツイッターなんか、日増しに見られたものじゃなくなっているような。その現状に対し、オレはあまりに無力だし。こう言っても、共感されるかどうかあやしいが、一応書いておく。
相模原の事件に繋がりうる考え方の持ち主は、そこにもここにもあそこにもいるのだ。それがオレは怖いと言っても、なかなか人に伝わらない。マー、主にここで書いているだけだから、反応は見えにくいんだが。「強者に殺される恐怖」と言うものが、相模原の事件以来強まっていると何度訴えても通じなかったし。さらに分かってもらえないと思うのは、オレの中にも弱者にいつ牙をむくか分からない自分への怖さがあると言う事だ。相模原の事件以来、両方自分の中で大きくなっているのを感じている……。