走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「人類ダメ」に対する明確で現実的な回答とか、「人類より優れた存在」とか

 前にコチラで書いた事をもう少し掘り下げてみる。

 山本弘氏の『平井チルドレンに残された大きな宿題』では、平井和正は自らが出した「人類ダメ」問題に対し、「明確で現実的な回答を出せなかったんじゃないか」と推測している。平井の気持ちも分からなくはない。今の人類が抱えている様々な問題に対し、明確で現実的な回答がオレにも出せんし。そうこうしている間にも問題は進行して行くんだが……。平井が宗教に走ったのは、山本氏の言う人類より高潔な存在を作中に頻繁に出してたのと関係しそうな気がする。「どこかに人類より優れた存在がいるに違いない」と思ってなければ、そんなもの書いてもウソになるし。

 ところでカマヤンさんはこの問題に関し、自己否定が付きまとう当時の社会情勢を考慮していた。なるほど、現実がどうしていいか分からない状態なら、「人類ダメ」に至るのも無理はない。さっきも少し書いたけど。山本弘氏の言うように、そこで止まってしまったら(山本氏の言うのとは多分違った意味で)終わりだが……。

 話が少しズレるが、私が『超人アルジャーノン』でのちのち書こうとしていたのは、人類より優れた力を持つ超人が、なんで人類のために奉仕せんといかんのよと言う疑問を抱いた超人だったり。主人公がその疑問(それは「人類ダメ」とつながっている)を抱いて、自分を拾ってくれた組織と袂を別つ事になる……とか書きたかった。上手く行けば、「カミサマを別にしたら、人類より優れた存在って、なによ」と言う問題にも到達出来るかと思ったが……。あのままではいつまで経ってもそこまでたどりつかんな。トホホ。

 話を戻そう。さっき少し触れたが、「人類より優れた存在」の描写って意外と難しいのでは? それを書いたり描いたりしている自分はあくまで人類なんだし。こう考えるのは、オレが神頼みに失望した人間だからかも知れないが。それ以前から、例えば藤子・F・不二雄の『征地球論』に出て来る地球を監視する宇宙人や、これまた藤子Fの作品(題名は失念)に出て来た、「進化して人類を見下すゴキブリ」とかに違和感を感じてはいたけど。ここで前述の、“「どこかに人類より優れた存在がいるに違いない」と思ってなければ、そんなもの書いてもウソになる”と言う話に戻るわけです。そのどこかを宗教に求めたから、平井和正は酷評されたが。また、どこかにそんなものが存在していたとして、そいつが人類を善導してくれるとは限らんだろう。

 ……いかん、もっと“「人類ダメ」に対する明確で現実的な回答”について書く予定が、「人類より優れた存在って、なによ」についてばかり書いてしまった。マー、明確で現実的な回答が存在していたら、それを実践するのみで、こんな文章を書いてやいないんだが。いやいや、それこそ「平井チルドレンに残された大きな宿題」なんだろう。オレは平井チルドレンとは言えないけどな。