実は長年、喜怒哀楽どれを表明しても辛くて。人生において、感情や意見の表明をマトモに聞いてくれる相手が少なすぎたのが一番の原因なんだが、その後遺症はまだ続いている。今日、Xでちょっと腹の立つ話を見て、それへの怒りをぶちまけたが、ギリギリまでどうするか迷っていた。その程度でも躊躇や苦しみを味わうのだから、どないやねん。
しかし、今は喜怒哀楽を表明せんといかん。周囲や世間の反応など、恐れていられるかー! とか書いたら、スッキリしたぞ。どれだけ感情を溜め込んでいたんです。てなわけで、これから書く話も描くマンガも、毛色が変わるかも知れない。ぬええ……。だからなんで「ぬええ」なんだ、こんな時! 自分に当たるな。こう言う照れ隠しや韜晦が、感情や意見の表明を妨害していたのは否定出来ない。周囲や世間からの圧力、酷かったとは言え……。
喜怒哀楽を表明すると感じる辛さを克服して、気楽に色々やりたいよ。