走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ふと思ったこと

 第一期ウルトラシリーズと言い、マグマ大使キャプテンウルトラジャイアントロボ仮面の忍者赤影と言い、第一次怪獣ブームの頃の作品には、これぞエンタメなワクワク感が横溢しているのは何故だろう。それ以降の作品が悪いわけじゃないし、別の意味での観るべきところはあるけど、自分でマンガを描くようになってだいぶ経つ今となっては、特撮のパイオニアとなった先人の凄さにシャッポを脱ぐしかない!

 みなもと太郎の「今、明るい花園に腰を下ろす人たちは、暗い大地に種を蒔いた者の事を忘れてはならない」と言う言葉を噛み締めなければならないな、マンガ家の端くれとなったオレは特に。マンガと映像作品では表現出来るものやノウハウは違うが、楽しんで来た作品が一朝一夕に出来たわけではないと言う現実は忘れたくない。そう言う意味での敬意がないと、今跋扈しているAI使いやそれを尻押しする胡散臭い連中(イーロンちゃんとかね)に負けてしまう! しかしそこまで言及すると、話が明後日の方向に行ってとっ散らかるから、意思の表明だけにしとく。でも、もひとつ言わせてもらえば、AI使いが安直にすけべピクチャを量産する事で、貴重なエネルギーや淡水や銅(電気通すのに銅線は要る)が浪費されるのはちょっと。デジ絵とて電気を食うのは同じだと言われそうだが、生成AIはバランスが悪すぎるんだ。……脱線脱線。でも、先人に対する敬意がないと、AI使いみたいなのがつけ上がる気はする。

 話を戻すと、先人に対する敬意を持って作品作りをしていたいねと。その気持ちが強すぎて、要らん事まで言ってしまったかも知れないけど。