オレが絵やマンガを描いているのは、社会と繋がる手段だからと繰り返しこのブログなどで言ってきた。社会と繋がる手段として、絵やマンガを描く事を選んだのは「自分の言葉が信用出来ない」と言う、悲しくも恐ろしい理由がある。そりゃ、周囲のDQNに「ちゃぶちゃぶ抜かすな!」とか「そがなん、カバチよ!」とか「わしに殴られるんと、どっちがいい!?」とか言われ(時には暴力も振るわれ)ながら、黙らされ続けていればねー。思い出すと不愉快極まりないが、話を続ける事にする。DQNの目の届かない範囲で絵やマンガを描いて発表し、なんとかマトモな人間関係を構築出来た身としては、絵やマンガを社会と繋がる手段として選んで生きる他ないのでは。少なくとも、かつてオレを苦しめたDQNどもみたいな肉体言語以外ない連中より、遥かにお天道さまに恥じない生き方してると思うし。
……いかん、この記事を書いていたら、自分の言葉への不信と世の中への怒りが再燃して、頭がどうかなりそうに……。「いくら何を言っても描いても同じ事だ! 嫌いな奴を殺してオレも死ぬ!」と、叫びそうにもなったし。嫌な事を思い出した上に、最近また自分の絵やマンガにも言葉に対してくらいの不信感が植え付けられたしなあ……。自分の絵やマンガすら信用出来なくなったら、他に残るもの何もないぞ。つるかめつるかめ。
「自分の絵やマンガへの不信感」だが、やっぱり拙い出来を自覚したら、信用出来なくもなるわさ板わさ。おまけに、上手くなる自信も術もない。とか書いていたら、背中から寒気がして来た! なんだよ今回は!
(続く)