Xで、スタバの創業者が事業をはじめるにあたり、自宅でも職場や学校でもない「第三の場所」を創り出したかったと述べたのを引用し、自分にとっては(日本の)ゲーセンこそが第三の場所だと語る投稿を見た。オレもゲーセンが第三の場所だった時期があったが、今はそうもいかず……。スタバではないが、オレがよくコメダ珈琲店で粘っているのは、まさに第三の場所を求めての事なのかも知れん……。コメダも店の立地などで居心地はそれぞれ違うが、かつてのゲーセンもそうだったな。
それはいいとして、第三の場所ですよ。かつてゲーセンで知った者との会話や、交流ノートで絵などをやり取りしたりを求めていたものの、今は出先で自前のノートを持ち歩き絵を描いたり、スマホで知った者とのやり取りだって出来る。筐体に腰を据えアーケードゲームこそ出来ないものの、オレにとっての第三の場所は、オレが自ら創り出していたのかもな……。時代は変わった。してみると現代は、まんざら捨てたもんじゃないのかもな。テクノロジーなどが、自分の孤独を埋めてるんだからな。あるいは、これが自由と言うものか! いえね、ゲーセン通いしていた頃は、家族の夕飯作るために夕方には家に帰っていたなど、意外と制限あったのを思い出して。そこを掘り下げても、悲しくなるだけだがな。
第三の場所とゲーセンで言えば、アメリカでラウンドワンの業績が好調なのも、アメリカの田舎者(と、言い切る)にとっての第三の場所と成り得たからではと邪推してみる私。アメリカ人のセンス、意外と古いからな……。これ以上は言わんぞ。