自分の内心は自由だ。また「表明する自由」のない、内心の自由はあり得ない。しかし、自分が扱いかねる事は内心にあるものでも触れない方がいいかも知れん。何の話かって? 実は最初、昔愚母から「あんたの考えは世間に通用しないんだから、何も喋るな」と言われたせいで「オレの意見は、誰にも通用しない」と長らく萎縮していた故の弊害を話すつもりだったが、どうにもまとまらず辛くなる一方なんであきらめたのよ。それで題名に書いたような結論に、落ち着いたわけです。
あるいはインターネットの爆発的な普及で、誰でも彼でもオレまでも好き勝手に物を言えるようになったから、逆に「自分にとって触れたくない事は、無理に言わない方がいいのでは」と言う気持ちになったのかも。愚母からの呪縛以外にも、オレにとって触れたくない話はあるけど、いちいち列挙出来ない。そんな事したら、辛くてどうかなるぞ。今月いっぱいツイッターから離れようと思ったのも、自分にとって居づらい場所になって来たからだし。来月になればツイッターが良くなるわけではないが、離れる時間を多くしないとダメだ。
途中でツイッターの話になってしまったが、最近オレは自分にとって辛い話から離れたくて仕方ない。それは自らの中にもあったのだから、さあ大変だ。オレはすっかり、弱くなっちまった……。