実相寺昭雄『ウルトラマンのできるまで』12ページに、円谷英二からの申し送りとして、次のような言葉が載っている。
「きたならしいものはだめだよ。見ていてヘドの出るようなものや、残忍なものや、暴力だけがまかりとおるものや、気持ちの悪いものや、血まみれを売りにするようなものはね」
「やはり見終わって夢が残るものじゃなきゃだめだよ。きたならしいもの、目をそむけちゃいけない現実、社会問題、……それは別のリアリズム映画がやってくれる。特撮っていうのはね、だれもが見たくても見られない光景や視点をつくりだすためにあるんだよ。どんな巨大な怪獣を出そうが、ミクロの細菌の世界に潜入しようが、日ごろ見られない夢を見せるようにしなきゃだめなんだよ」
この言葉を現実逃避と見る向きもあるかも知れない。しかし、二番目の引用文に「目をそむけちゃいけない現実」と言う言葉がある事を忘れてはならない。そう言うものがあると踏まえた上での発言であるなら、現実逃避と切って捨てるわけにはいかない。振り返って、今の世の中に円谷英二の生きた時代の人々と比べ「目をそむけちゃいけない現実」に向かい合える(向かい合ってる)者は、いったいどれだけいるよ!? この問い掛けは、オレにも、閲覧者の皆さんにも当てはまるのだ。オレは落第だと、我ながら思うけどな……。もしかしたら、大人と言うのは「目をそむけちゃいけない現実」に向き合う胆力を備える者の事かも知れない……。ただしそれは、自称「現実派」みたく、現状を無批判に追認し続ける事ではない! と、今のうちに言っておく。とは言え、あまり「大人の条件」を定義付けて、人間を狭く捉える事もしたくないが……。
と、書いていて思う。「目をそむけちゃいけない現実」に向かい合う以前に、今の世の中フェイクニュースなどが多すぎではないかと。話広げすぎそうなんで、詳述しづらいがな……。