秋本治のブラックコメディ『武装化時代』のクライマックスは、銃解禁の日本で頻発する殺人事件と治安の悪化に苦慮した政府が「憎い人を殺しても良い日」を制定、それによりそこかしこで銃撃戦が勃発。累々たる屍を夕焼けが照らして終わると言うものだ。この記事の題名が「殺し合いの日」になってるのは、作中の立て看にそう書いていたのを拝借。
さて、本題に入るが、今の世の中見ていると銃解禁もないのに「殺し合いの日」がいつ起きてもおかしくない気がするんだよな。根拠はない、強いて言えばツイッター*1か。あれを見てると「お前ら、殺し合いでもしなければ収まらんのか!」と言いたくなる連中をよく見るだで……。ツイッター以前だって、在特会と言うゴロツキがあわや在日コリアンを殺しかねないところだった*2し……。こんなおっかない世の中、嫌だよ! オレもいつ殺されるか、分からないんだから!
仮に「殺し合いの日」が日本で起きたあとの社会は、相当グロテスクなものになるだろう。生き残った弱者は、今以上に強者に怯えて生きていかなきゃならないだろうし、生き残った強者の生存バイアスも、ゲロ吐きそうなくらい強烈になるだろうし……。日本人が「殺し合いの日」を反省・後悔するほど殊勝な国民性なら、前述の在特会なんか出て来ないか瞬殺されとるわい! チキショー! しかし「殺し合いの日」を阻止出来るだけの力は、オレにはないしなあ……。あー、嫌だ嫌だ。これはフィクションと現実を混同していると言うより、世間に吹き荒れる憎悪の嵐を恐れているだけの話。
こんな記事を書く程度には、現代日本と日本人には失望している。これ以上不愉快になりたくないから、理由などは言わないけどな。