創作で「同じ事をやっても勝つことはない」からって「知識をつけずに無知で挑もう」てそうはならんやろ。203高地が落とせないからって丸腰でバンザイ突撃するつもりか。興味のない文学や音楽を取り込む挑戦や苦行を回避して、「とにかく前向きな創作活動をしている」と自らを慰める方便でしょう
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2022年12月28日
「新しいものを創り出すのに知識は不要」の思想が「好きなものを好きなだけ好きになっていい」のオタク文化と地続きだったらヤだな……
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2022年12月28日
「こなたま」氏の上記ツイートを受けて、こんな感想をツイートした。
ある程度「直接当人の創作に関係なさそうな事」にも詳しいのが(創作をする)オタクだと思うけど、最近は違うんかな。>RT
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年12月28日
「ある程度」と書いたのは、人様の知識量はまちまちで当然だから、こう言う風になったが……。閲覧者に曲解されたら嫌だな。 https://t.co/4NVeDMt4UT
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年12月28日
オレの最初のツイートで言及したRTは「こなたま」氏の二番目のツイだが、引用RTなどにしなかったのは氏とやりあう意思はないからだ。あくまで個人的な感想の備忘録と言うか……。じゃあなんで言及したのかと言うと、オレがあちこちで「物知りキャラ」と思われている事への複雑な思いもあって。オレがむかし、必死に知識を蓄えたのは、まさに創作の肥やしのつもりだったんだ。ところが、そっちにのめり込んで失敗を繰り返したりなど散々な思いもしたから、最初の「こなたま」氏のツイもこたえて。「オレの行動もまた、自らを慰める方便だったのか~? トホホ……」と言う気持ちになっちまって。それはともかく話を進めよう。ネットが普及して、だれでも創作の参考資料にすぐ当たれるような気になっていたけど、実はそうでもなかった。意外とググっても出て来ない事は多い。「こなたま」氏の言う「興味のない文学や音楽を取り込む挑戦や苦行」で得られるものとかな。「文学」と言う言葉から、ちょっと権威主義臭いものを感じなくもないが、今は置いといて……。そうでなくても「経験」と言うものは、ググって得られるものじゃない。それらは一期一会なんよ……。ただねえ、こう言う事を経験すれば人は必ずこうなると言うエビデンス(確証)ってないのも事実で。だから「こなたま」氏とやりあうのを避け、エアリプと言う形で備忘をしたのだが。そのエアリプとて、奥歯に物の挟まったかのような言い草だし……。
しかし、創作の肥やしにするしないに限らず「自分の知らない事」にどう向かい合うかは大切なんだが、最近は「知らない事を調べるのはオタクっぽいからしない」と言って恥じない者もいるみたいで……。その意味では「新しいものを作り出すのに知識は無用」と言う考え方は、オタク文化と遠い位相にある気はするけど、深掘りしない。問題は、オレ自身だよっ! 記事の題名に書いたように、過去の知識を創作に活かしきれていないのが辛いんだ。だから「こなたま」氏の言葉にギョッとしたのが半分とエアリプに書いた感想が半分なわけで……。オレの知る「創作している」オタクは、持ってる知識が直接影響しているかどうかは分からないけど、物知りの者少なくないし。しかし、人の知識量なんてパッと見だけで分かるもんでもないから厄介なのよ。だから上記のオレのツイでも「人の知識量はまちまちで当然」と言ったんだが。さらにオレの場合、周囲が「知」を軽視するDQNだらけだった時期が長く、ひねくれたのも影を落としている。そこも詳述しないけどな。オレ自身の話に戻るが、近年は創作の心構え*1とかクリスタやadobe製品のノウハウは学んだが、自分の過去の知識がどこまで創作に活きてるんだろうと不安ではある。そこら辺は自分で工夫せねばならんが、おろそかだったのではと最初に引用したツイートから連想した。それでギョッとしたと……。最近は、知識の上書きや新規入荷も怠ってるしなあ。
*1:まめに調べたり、気付いたら修正したりと言った事。