走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

描く意思を理解しない人びと

 以前こんなやり取りを、ツイッターでした。

 最後のツイートには、同感である。昨今のAI流行りに疑問があるのは、まさに人の「描く意思」を軽視あるいはないがしろにして話が進んでる気がするので。とか書いて放置していたら、今やpixivにAI生成画像が出まくりだそうな。上手く言えないけど、この記事のためのオレの立論が、大きく揺らいだかも知れない気が……。こんなツイートも見たし。

 こう言う話を聞くと、述べようとした「描く意思」についての話が混乱してしまう。絵描きは一点ものに強いアナログに戻れとでも? うーむ。

 いや、かつての写真みたいに、画家が兼業(?)で写真を撮っていた時代から「写真家」と言うなりわいが出来て来たような棲み分けが起きるかも知れん。それを加味して「描く意思」うんぬんについて話をする事にしよう。AI生成画像の流行が、コンタロウ『すごい巨塔』のクライマックスを思い出したが、そのラストは「コンピュータがマンガを描くのが当たり前」になった時代にも「描く意思」を持った人間はいたというものだった。それを覚えていたから、オレは斉所さんとの会話でああ言ったのかも。また、精神科医斎藤環さんが、AI生成画像をいろいろ試してみて「AIは意味を理解出来てない」と判断したなど『すごい巨塔』が現実化するまでは、相当の段階があると思わせる証言がいろいろあるし。あとは個人の意思を社会が軽視する方に行かなければ、当面はなんとかなるだろ。あと、ふと書いてて思ったが、Adobeが自社のPhotoshopやらなんやらを脅かさないうちに、AI画像に対抗する謀略を張り巡らしたりして……。クリスタのセルシスには、そこは期待出来ないけど……って、酷い想像だこと。ハインラインかよ。

 話がこんがらがって来たが、AI生成画像にしろ自ら描いた絵にしろ、まず「描く意思」がないことには何も生まれない気はするので、いろいろ考えてたらこんな事に! うーむ。