AIが描いた絵をいくつか見て思ったのは「言われた結果を出す」のはいいが「思いもよらないもの」は、まだ作れないんじゃないかと……。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年8月27日
コンタロウの『すごい巨搭』に出てきたミスターMみたいなコンピュータはまだまだ先になりそうだし、AIの絵の分野での「シンギュラリティ」は、まずない気はする。絵やマンガを判断するのが、人間様である限りは。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年8月27日
こんな話をしたのは、コンピュータはミスしたらエラーを出すかミスと思わず動き続けるかなんで、ミスをミスと認めた上でとっさの判断するのは使っている人間様の方だなと思ったからだ。その辺が「思いもよらないもの」をコンピュータ単体で作るには、いろいろ遠いと言う結論に向かわせた。もっと言えば、自動運転ほど人命や安全に関わらない上に、判断の幅がシャレにならない広さの絵は、AIと相性が悪いんやないか? そう思うのはオレが古い男だからかも知れんが、何かまうものか。
絵やマンガの「ミスをミスと認めた上での判断」と言えば、手塚治虫の「お茶の水博士の鼻」が有名だな。それで思い出したが、鉄腕アトムは「絵が描けない」と言う設定なんだよねー……。なんか奇妙なシンクロニシティを感じるけど、これもまた「愚者の発想」かも知れない。蛇足ながら、オレも自分のマンガ『ある日の乗鞍家』で、少年型ロボット「リョウマ」が絵を描くくだりを入れた事が。AIが絵を描く世の中が来ると分かっていたなら、もっと掘り下げればよかったか。どっちみち、今さらどうにもならないお。何故、本田べるの構文。