戦隊シリーズを「集団による弱い者いじめ」と見る人おるけど、設定ではどう考えても敵の方が数が多い。つまり、あのヒーロー番組は仲間が助け合うことで、物事を解決することが出来ることを教えている。敵側はそれが出来ないから負けるのだ。頭のいい子はそれを感じとって、人生の大切なことを学ぶ。
— 遊山直奇 ゆうやまなおき (@youyama) 2020年8月1日
これに対し、オレは下記のようなツイートを。
戦隊ものでは、他のメンバーが戦えない状態で、残ったひとりが活躍して逆転する話も少なくないですしね。 https://t.co/am6EM0NP3p
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2020年8月2日
それに限らず、戦隊ものを「集団による弱い者いじめ」と言う意見は(最初に引用したツイートと被るけど)敵方の「戦闘員」を頭数に入れていない暴論だし、敵より多い数で攻めると言うのは兵法の基本だぜと言いたくもなる。そういやサブカルビジネスセンターでの雑談で似たような話になった時も、敵方の「戦闘員」を頭数に入れてないと言うのと、敵より多い数で攻めると言うのは兵法の基本と言うのは言ったけどな。マー、ここまで書いていて戦隊ものを「集団による弱い者いじめ」扱いしたい者には、オレが何言っても届きそうにない気がしたけど。その論法を最初に見たのはテレビランドの『テレランパトロール ジュン』と言うマンガ*1で、主人公が電子戦隊デンジマンに、いちゃもん付ける時だったな。その後テレビランドでは、デンジマンを特集した別冊ふろくで、その論法を否定していたけど。それで思い出したが、オレは『テレランパトロール ジュン』や、それに先んじてテレビマガジンに連載されていた『ゴーゴー悟空』*2のような「ヒーローを笑いものにする」ギャグを取り入れたパロディマンガが苦手だった。『ゴーゴー悟空』と同時期のテレビマガジンなら、下ネタ多いけど真樹村正の『おなり~っ ボロッ殿だい』の方が……。あっちは、極端にヒーローをおとしめてなかったもんな。閑話休題、オレもオリジナル戦隊もののマンガを描こうとしたから、戦隊ものを「集団による弱い者いじめ」扱いされるのは業腹である。そういやその論法、あるゲームの本筋とは関係ないエピソードでも出てたな。そのエピソードに出て戦隊にケチつけたキャラをそのままオレの別の作品で血祭りに上げてやろうかと思ったが、それより自分のオリキャラに件の暴論を言わせ、酷い目に遭わせた方がいいな。まるでDCコミックスの塩漬けになってるキャラの使用許可を求めて断られ、仕方なく新キャラを創作した『ウォッチメン』みたいだが。そんないいもんか? うるせえ。
とは言ったものの、題名にも書いたように最近の戦隊もの見てねえんだよな。何度か話したけど、映像作品を見ると言う受動的な娯楽がキツくてねー。理由は分からん、受動的な娯楽に対する期待感が薄れたせいとかなんとか後付けは出来そうだけど、それをやっても本当の理由にたどり着けそうにない気はする……。