このところのウイルス禍で不安が強かったが、その理由のひとつは、これですよ。
病院がギリギリとか、学校が旧態依然とか、物流業界が限界とか、そういうずっと問題になっていたのに手が打てなかった部分が、コロナで一気に表面化したわけで、泥縄で何とかなる話じゃないんだろうな。冗長性は削り過ぎたのに、業務の形式的ハードルだけはやたら高くて緩和できないという。
— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) 2020年4月30日
何の事だか分からないって? 要するに中長期的に見た時、ウイルス禍が去っても残る混乱*1に怯えていたわけで……。そこはオレひとりでどうにもならん話だが、確実にオレに影響はある。それを言語化出来んけど思っていて、パニックを起こしたんでしょうなあ……。他にも、芸術・芸能・文化の変容も気になる。それによりサブカルビジネスセンターでスタッフがやろうとしている事が、ウイルス禍とその後の変容にある社会でどこまで出来るか分からん。あそこに通う事で、せっかく人生がいい方向に向いたと思ったのにな……。まだあきらめるには早いかと思っているけど、状況が全然読めんからの。繰り返すが、現状では「今までだって、なんとかなったじゃないですか」と言えないし、この先どうすればいいかも分からない。だが、自分の不安やパニックの理由は分かって来たから、あとはそれに呑まれないように生きるしかねえ。日本赤十字社の『ウイルスの次にやってくるもの』の動画も見た事だし、オレ自身のパニックを鎮めねば。
他にも不安要素はあるが、言い出したらキリがないので、この記事では言わない。さて、パニックを鎮めるために、何をしたらいいのやら……。
*1:たとえば荻野幸太郎氏の言う、「問題になっていたのに手が打てなかった部分」の事だ。