走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ああ、20年前

 早めに寝て、当分沈黙するつもりが、寝られないやら自己嫌悪は募るやら。そのため20年前、仕事が上手くいかなかったのを理由に自殺した方がよかったかも知れんと思うように。あの頃も社会の底辺で酷い目に遭ってたからなあ、オレ。20年前と言えば、オレが呉市のあちこちの施設やマンガ喫茶を使ってネットをはじめた時期だ。そんな事せず、自殺……いかん。これでは相模原の障害者殺傷事件の被告とかと変わらん! いくらやり場のない怒りや悲しみが強いからって、それを憎悪に繋げちゃダメだ。だいたい20年前いろいろ苦しんでいたのも、オレだけが原因ではあるまい。だからと言って「こいつが悪い!」と言える相手もおらんが。

 あの頃また仕事をはじめたのは、以前も言ったけど「オレはふたたび絵やマンガを描きたい! そのためにはまず、足元を固めなければ」と思い立ったからなんだよな。それでも上手くいかず、また「オレは結局、何をやってもダメなのかなあ……?」と落ち込んでしまったけど。そんな時ネットにより新しい世界が広がって、いい気晴らしが出来たんだが。20年前を詳細に思い出そうと言う気はないのでこの辺にしとくけど、ある意味転機だったのは事実な気がして来た。最初に「仕事が上手くいかなかったのを理由に自殺した方がよかったかも知れん」と書いたが、なんで仕事が上手くいかんくらいで死なねばならんのか? 23年前オレを殺そうとした職場や、クソ親父の「趣味なんて、一人前に働けるようになってからのもの」と言う発言が、オレを歪めてたんでしょうなあ……。一人前どころか、何をやっても上手くいかないから、生きる資格すらないと勘違いしてしまった。そう言う発想が、相模原の障害者殺傷事件に繋がるのに。

 だが、今は当時に比べ、あれこれマシになって来た。サブカルビジネスセンターで、絵やマンガも描ける事だし。今思うのは、オレは20年前……いや、それ以前から統合失調症の症状が進んでいて、それでも薬を飲まず生活していたから、いろいろ不具合が続いていたのではないかと……。いえね、むかしは頭にもやがかかっているような感じが続いていたのに対し、精神の薬が効くようになってからは、だいぶハッキリした思考や判断になっているので。それでも症状に悩まされているけど。と言うところで、この記事はここまで。