走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

1988年から人生をやり直すか、今から人生を立て直すか

 もし今「1988年から人生をやり直させてやろう」と持ちかけられたら、真剣に悩む。サブカルビジネスセンター(以下SBC)での日々、そしてこれからを失っていいのかと……。この十数年、こんな風に思った事はない。確かに「ない事に時間取るな」とツッコまれたらそれまでだが、幸せになるための道に「これから人生を立て直す」と言う選択肢が出来たのは、はじめてではなかろうか? と思って。「じゃあ、なんで悩むんだよ」と言われそうだけど、1988年に宗教に引っかからず、もっと早く絵の道に進んでいたらどうなっていたかと言う気持ちは残っているのだ。マー、家族に邪魔される可能性は高いと最近では思うけど。とか書いていたら、また過去がフラッシュバックして来た。これ以上辛くならないうちに話を戻そう。1988年から「絵を通して社会と繋がりたい」気持ちに従い生きていれば、いい人生が得られるような気がしていた。勤め先で殺されかかる事もなく、DQNに目をつけられる事もなく、収入だって増えていたような。しかしそれも皮算用な気もする、人生をやり直してもマンガ家になれたかどうか。いや、なれなかったらなれなかったでいいんです。家族や宗教に足を引っ張られず、絵を描きマンガ家を目指す人生はこれまでの人生より楽しかろうと……。しかしSBCに通う事で人生の風向きが変わって来たため、そんな夢想に耽っている暇もなくて。「絵を通して社会と繋がりたい」気持ちがSBCで満たされそうなのが、こうまで自分にとって大きいとは。もしオレに潤沢に金があって、代アニとかに入る事が出来たら似たような事が出来ていたんかなあ? いや、その代アニにいた人がSBCを立ち上げたもので、つい。

 ところで、下記記事で「どう言う状態が幸せなのか、よく分からない」とか書いた。それは今もそうだ。不幸な人生が長かったからねー。オレが夢想していた別の人生でも、幸せな状態は思い描けてない。収入が増える状態すらも、イマイチ想像が出来んし。

a-katu.hatenablog.com

 「幸せになる」事への想像力の貧困さも、長年の不幸から来てるんでしょうなあ……。ニューギニアの(でんでんでん)火力発電所に(でんでんでん)……言うな、言葉に詰まって、つい。それだけ幸せと言うものが縁遠かったのである。