下記のみっつのツイートをご覧下さい。
多くのダムカレーは、過疎化に悩むダム水源地の方々が考えだしたものです。ダムカレーで、少しでも活気が取り戻せたらという気持ちから誕生しています。
— 日本ダムカレー協会 (@Jdamcurry) 2019年2月21日
【ダムカレーは不謹慎だ、ふざけるな!被災地の土木屋が大激怒 | 施工管理技士を応援する『施工の神様』】 https://t.co/ZAKfXjZvYc
ダムカレーは不謹慎だ、ふざけるな!被災地の土木屋が大激怒 | 施工管理技士を応援する『施工の神様』 https://t.co/90ofm2yt0B @seko_kamisamaさんから
— 夜の井上よしひさ@C96申込完了 (@circleponiponi) 2019年2月21日
ダムカレーが「不謹慎だ!禁止汁!!」の対象になるとは\(◎o◎)/
でも「規制への圧力」というのはこういう風に際限なく拡散するものよね
どんなものでも人を不快にさせる可能性はあるわけで、だからこそ
— 井上よしひさ3/3上野ダムぬり絵コンテスト (@poniponipony) 2019年2月21日
「不快だからやめろ!」
と叫んではいけないんですよね。
ツイッターでよくある、「不快に思う人の事を考えろ」と言って圧力をかける事の是非ですね。それに対し「誰にでも不快なものはあるんだから、それを全部なくそうとしたら何も存在出来なくなってしまうわ!」と言って反論しようかと思った時期もあったが、今は違う。結局ツイッターでは、みんながみんな「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」をやりたがっているんだから、それでは反論にならないので。どうやってその殲滅戦をやめさせるかだよなあ、考えなくてはならんのは。「そうではない、不快なものに対する配慮の問題だ」と言われそうだが、その時には前述の「誰にでも不快なものはあるんだから、それを全部なくそうとしたら何も存在出来なくなってしまうわ!」と言う言葉を出すまで。
最初は不快なものをどう受け入れるかの話をしようとして、題名もそんな感じだった。しかし今のツイッターで行われているのが、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」なら「not for me」も「目を背けながら共存」も意味がない。さりとて、こんなしょーもない争いで消耗するわけにもいかん。ここから先どうするかの知恵が出ない、誰か手を貸せ、知恵を貸せ。つーても、答えは悪魔の叫び声だろうな。ブログやツイッターで今まで何を呼びかけても、返事はほとんどなかったし。それでもこんな記事を書いたのは、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」はやめようやと言いたいからだ。いい加減にせんにゃ、共倒れになるで……。