走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

不快感は錦の御旗になるか?

 下記のみっつのツイートをご覧下さい。



 ツイッターでよくある、「不快に思う人の事を考えろ」と言って圧力をかける事の是非ですね。それに対し「誰にでも不快なものはあるんだから、それを全部なくそうとしたら何も存在出来なくなってしまうわ!」と言って反論しようかと思った時期もあったが、今は違う。結局ツイッターでは、みんながみんな「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」をやりたがっているんだから、それでは反論にならないので。どうやってその殲滅戦をやめさせるかだよなあ、考えなくてはならんのは。「そうではない、不快なものに対する配慮の問題だ」と言われそうだが、その時には前述の「誰にでも不快なものはあるんだから、それを全部なくそうとしたら何も存在出来なくなってしまうわ!」と言う言葉を出すまで。

 最初は不快なものをどう受け入れるかの話をしようとして、題名もそんな感じだった。しかし今のツイッターで行われているのが、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」なら「not for me」も「目を背けながら共存」も意味がない。さりとて、こんなしょーもない争いで消耗するわけにもいかん。ここから先どうするかの知恵が出ない、誰か手を貸せ、知恵を貸せ。つーても、答えは悪魔の叫び声だろうな。ブログやツイッターで今まで何を呼びかけても、返事はほとんどなかったし。それでもこんな記事を書いたのは、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」はやめようやと言いたいからだ。いい加減にせんにゃ、共倒れになるで……。