ツイッターで、下記のようなツイートを見た。
本は、発行された瞬間の大人や小中学生のためだけの独占商品ではなく、発行された時点以後の人類のよいこだれかのために存在しつづけるべきものであるから正しいであいがそこにあったわけである。
— 氷厘亭氷泉 (@hyousen) 2019年1月17日
「本は発行された時点以後の誰かのために存在し続けるべき物」と言うのは確かに正しい、しかしオレはこうも思う。「本を読める者は、意外と少ないのかも知れない」と。いえね、ネットの普及で人びとの読解力が薄れた*1んじゃないかと思っていたが、実はもともと読解力がない人が無視できない数いて、ネットがそれを可視化させちまったのではないかと……。そんな連中が、本とそこにある知識やら、あるいは文化そのものやらの価値を正しくわかってるのか疑問である。だから三角関数がどうたらとか言う、橋下徹みたいな奴がでかい面するんだ。
マー、オレが本を読めているかと言われたら、正直うすら寒いんだけど。文字の本がどんどん頭に入らんようになってるし、かつて読んだ本も内容を次々に忘れてるし。こんな事を言っていると、「あまりに人間の能力を、低く見積りすぎでは?」と言われそうだが、世の中を見ていたら、人間はあまり賢くなっていないんじゃないかと……。ツイッターでは、気軽に焚書を叫ぶ奴らが増えたし。これは一朝一夕にどうにかなる問題じゃない、とは言え書いておく価値があると思うので書いた。
*1:何故そう思うのかは、簡単には説明出来ない。