走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ちっどれ、ちっどれ! イワテケーン! ワンワン!

 無意味な題名を書くと、そのあと気軽に記事が書ける。とか言いつつ、こんなツイートを貼り付けたり。

 計画経済うんぬんはまた次に回すとして、障害者支援に需要側の視点が不在で供給側の一方的な押し付けになりがちな点について少し。最初に入った作業所で上手く行かなかったのは、まさに供給側の押し付けに辟易したからだ。ちまちまちまちま内職したり、内職がない時は塗り絵をやらされたり、レクリエーションではもそもそ歌を歌わされたり……。その上保守ジジイな所長の下品な話を聞かされたり、メンバーが暴れだしたり……。よく耐えていたなあ。その後作業所を二回変わるが、どこも水が合わず、今は所属はしていても3年以上通ってはいない。誰とも話が合わず、黙々と内職してもスズメの涙ほどの工賃しか入らないし、「通う」と言う行為が高いハードルになっちまったし。最初の作業所でストレスを溜めすぎて、さっさとやめればいいものを「オレを含めた障害者みんな死ね!」と言う、曲がって飛ぶ「憎しみの矢」をこのブログで放った事もあった。最初の作業所で不満を言っても、職員から「こらえて」とか「いいじゃない、所長の手のひらの上で転がされていれば?」とか言われただけだった。そりゃいやになる。いろいろしがらみがあって、最初の作業所にいた当時はあまり書けなかったが、前述のツイートで、いろいろ思い出しちまった事をつらつらと……。そういやどこの作業所でも、パソコンのスキルもあまり活かせんかったなあ。最初の作業所で、ホームページ(!)作りをしていた時に参加したくらいで……。それすら所長は、こころよく思ってなかったようだが。最初に言った供給側の一方的な押し付けについてだが、利用者に体調などの問題でやれる事に制限があるから難しい点はあるとしても、なんかこう、オレはガキ同然の扱いを受けていたように思えて。最初の作業所で、内職がないなら帰りたかったのに「金は出すから」と塗り絵をさせられた時は、口に出せんかったが情けなかったなあ。作業所に通っていると、世界が狭くなって作業所の外で起きている事にうとくなるのも。それを「作業所に通っていると、作業所以外の事を考えられなくなる」と医者に言ったもんだから、「幼稚園児が、幼稚園以外の事を考えるか?」と言われた事が。オレは幼稚園児並みって扱いかよ! 医者とケンカするわけにもいかんかったから、それ以上言い返せなかったけど、障害者支援における供給側の一方的な押し付けってのはこう言うところではなかろうか? ガキ同然の扱いとは違うが、やたらにオレの世代とズレた歌謡曲や童謡を歌わされるのも辛かった。他のメンバーもやる気なさげに、もそもそと歌っていたものなあ……。

 呉市はどうしようもないが、広島市内には面白そうな障害者支援をやろうとしているところがあるみたいだけど、どうなりますことやら。なんでそんな話をするのかって? ちょっとそこと、縁を持ちそうなんで。思わせ振りな書き方になってるが、まだどう転ぶか分からない事が多くて、確たる話になってないのよ。