「童貞=キモい」なんて意識が共有された文化の中で生きてたら、たしかに童貞は生きにくい。私は家の宗教がアレなもんで、童貞なんぞ修道院とかゴロゴロいるし聖書にも「童貞はキモい」とも書いてないしで、そういう文化をハナから信用してなかったせいか、必要以上に童貞を苦にすることもなかったが。
— ClaraKeene (@clarakeene) December 23, 2017
むしろ聖書は童貞を推奨すらしてるところがあるし(特に新約)。14万4000人のお童貞様が天の国に行くとか。そんなに童貞にコンプレックスを抱くぐらいならキリスト教徒になればいいよ本当に。変に童貞こじらせ酸っぱいブドウよろしくミソジニー発症するよりよっぽどいい。クリスマスも用事ができるし!
— ClaraKeene (@clarakeene) December 23, 2017
もっとも、新約聖書が童貞推奨してるのは、すぐにでも神の国(=人の世の終わり)が来るという切迫感のある中で書かれた、という時代的背景を考慮しないといかんので、表面的に読んで逆に結婚・生殖を汚れたものと見て忌避するのもまずいですけど。
— ClaraKeene (@clarakeene) December 23, 2017
上記のツイートを見ていたら、悲しくなってきた。下記の記事でも少し言ったように、「結局宗教かよ」と言う気持ちが出てなあ……。マー、オレも「クリぼっち」がどうとか「非モテ」によるクリスマス粉砕とか聞いて、「あのね、そんな事言うヒマがあったら、教会のクリスマスでも手伝った方がいいんじゃない?」と少しばかり思ってしまったが……。「全ての宗教はフィクションであり、実在するあの世やカミサマとは一切関係ありません」とうそぶいていたオレが言うのもなんだと思い、黙っていたけどな。
また、オレは一度宗教でヘタ打った男だから、宗教に警戒心が強いのもある。だいたい三大異端とされるエホバの証人やモルモン教や統一協会でなくても、おかしなキリスト教団体はあるし。牧師が陰謀論の本を出している教会とかな。さすがに今ケンカ売るつもりはないので、実名は出さんけど。しかしながら、宗教以外の団体とかが「非モテ」とやらに居場所を設けられていないのなら、それをどうすればいいのか考えなければならんような気はしますがねえ……。それに上記のツイートは、キリスト教が男性に対する救いしか考えていないんじゃないの? と言いたくなる話でもあるし。男女とかモテとか非モテとか越えて、居場所のない人間に対し何を与えられるかを、宗教を否定したい連中は考えんといかんような気がする。オレは思いつかないけど。地域とか言う共同体も、あまりアテにならんと思うしねえ。それに頼りすぎると、「とん、とん、とんからりと隣組」になりそうで……。と、ここまで書いていて、前に書いていた別の記事の下書きとテーマが被りそうなので、下記にコピペし、合併する。
こんなツイートを見た。
女から承認されないことにこれだけ嘆いてる男がいるのに「女性から愛される男になる」みたいな特集を男向けメディアで全然見ない。
— 隣 (@chikaki05201) 2018年12月13日
何の努力もしないのに承認を求め当然努力しないから承認得られず被害者面して挙げ句の果てに女を逆恨み。ふざけんな。確かに、男向けメディアのそう言うところは一部の勘違い野郎を再生産させているかも知れない。その半面にはうなずけるが、後半がひっかかる。言いたい事は分かるが、その言い方も扱いを間違えれば、「貧困は当人の努力が足りないから、自己責任」と言う言い草と変わらない事になりそうで。また、オレも相手に何もしてやれないし、どうしてやればいいのか分からないため孤独に生きる破目になったが、それにより人恋しくなったのも被害者ヅラなんだろうか? いささか言いがかりめいているが、前述のように「自己責任」論っぽい話になると、それでいいのかと思えてなあ。そうでなくても、「男の汚れは男の中で解決しろ」とか言われてるし。それについては、下記ツイートが参考になるかも。
「愛されたい」や「社会的な承認を得たい」のは、「男」のではなく、人の根源的な欲求の一つ(無い人も薄い人もいますが)なので、「男の問題は男が解決しろ」的な排除の論理で語るべきではないような気が。
— 山咲梅太郎 (@umetarou_y) 2018年12月15日
.@warenizonzu さんのまとめ https://t.co/84AqzdmRVg をお気に入りにしました。オレも同感である、だから最初に引用したツイートに違和感があったんだが。メディアや社会が、よりよい男女関係を構築出来るようなものになればとも思うけどねー。
しかし保守はマチズモな価値観からのシバキ、それに反対する側も強い個人を求め*1てのシバキ。なんだかなあ……。
はてな記法の引用でくくった部分と、それまでの部分の共通点と言うのは、「非モテ」とか孤独な男性をどうするかと思ったんだが。居場所のなさに苦しんでいる人間は、女性にもいるから、「男女とかモテとか非モテとか越えて、居場所のない人間に対し何を与えられるか」とも書いたけど。
繰り返すが、「結局宗教かよ」と言う思いは強い。宗教に走れば走ったで、別の問題が発生するのはオレ自身が身を持って知っているしなあ。さりとて、趣味を楽しみ続けろとも言いにくい……。どうもクリスマスに、オレには荷が勝ちすぎる話を書いてしまったようだ……。余談になるが、オレ自身は最近対人恐怖症げなものが出て来だして、知った者に話するのさえ辛い時が。これではモテるのは無理だし、万が一モテても続かない。何がいかんかったと言うのか! 嗚呼。
さらに余談。こんな話を思い出したので、引用する。
「宗教が慰めをもたらすからといって、宗教が正しいということにはならない」 ― リチャード・ドーキンス
— 無神論bot (@Atheist_JP) December 9, 2018
オレがこの記事でつらつら書いた疑問は、こう言うことなのかも。