走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「絵でシコる」と言うことほか

a-katu.hatenablog.com

 上記記事の最後の方で、

オレは二次元に何を求めていたんだ?

なんか寂しい - 走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

と書いた。それについて少し。

 オレがはじめてオナニーしたのは、中学の頃のパソコンゲーム誌に載っていたエロゲーの濡れ場でだった。以来シコるのは二次元が多い。覚えたての頃に、実写によるエロ本が入手しづらかったのもあるが。同時に、自分の性的な興味の対象が、クラスの者とは違うと言うのも漠然とながら感じていた。くっそー、あの頃もうちょっと「絵でシコる」者と出会えていたなら! 中三の頃、絵でシコっていたかは知らんが、触手系エロアニメが好きな同学年の者と接触はあったけど。

 話を戻して、「絵でシコる」事に疑問はなかった。性的に興奮はしなかったが『鬼輪番』と言う劇画でセックスシーンがあるのは見た事があるし、他にオカズになりそうなものもなかったし、自分自身アニメ絵に好意的だったしな。もうちょっと踏み込んで「シコれる絵」を自分で描こうと思っていたら、また違う人生があったろうな……。それからいったん宗教に走って、絵でも実写でもシコるのは中断する時期があった。ああ悲しい。そのあと宗教を捨てて、またシコるんだけどね。

 「性的なアニメ調の絵」でシコる事を覚えてから、いろいろなその手の絵をオカズにした。最初は美男美女による和姦がよかったが、のちにふたなりやおねショタ・ママショタもよくなりまして。ただ、「リョナ」と呼ばれてる奴はあかんな。どうしても好きになれない。そんなに見てるわけじゃないが、pixivで少し見て慄然とした。死を描くなと言っているのではなく、オレのオカズにはならんと。

 だが、最近はそれらも自分の中の孤独を埋め合わせてくれるわけではなくなった。ツイッターでの「左派」や「フェミニスト」による「萌え絵」叩きにより、見ているとそれらを思い出し心がぐらつく事があるのと、「所詮、物語の世界もまた、自分に縁がない話だ」と言う気持ちがどこかにあるのとで。あと、最初の引用記事に書いたように、絵でシコっても実際にセックスした時の感触まで得られないのと。好きなものを好きと素直に思えない自分に、忸怩たるものを感じずにはいられない……。さらに言うなら、人様の絵を見ていると、「どうやって描いているんだろう?」と言う気持ちが欲情より先に浮かび上がって来るのもあるんだけど。自分の絵に反映されたためしはないが。

 繰り言になるが、オナニーを共に語れる友なと宗教に引っかかる前に得られていれば、オレはもうちょっとマシな人生が送れた! なんてついてないんだ、オレは……。これ以上ぐずぐず言ってもキリがないので、一言で締める事にする。

「隅田の川の渡し守 竿を握って川をあちこち」

 上岡龍太郎が、オナニーの仕方を覚えた俗謡をかいて、この話を終わる。