走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

メディアの拡散と確度

 mixi日記に、こんな事を書いた。

 明治・大正と新聞広告には個人からの出稿も少なくなく、幸田露伴が「しばらく午前中はうちに来ないでくれ」みたいに言ったり、今となっては名も知らぬ人が「禁酒するぞ」と宣言していた。この状況に対し宮武外骨は、「なんで金払ってこんなもん見せられなきゃならんのだ!? 広告じゃなくて挟告だ!」と憤慨していた。しかし今は、SNSでそう言う事簡単に出来ちゃいますよね。メディアの役割が分散して行ってる一例なのかも。

 なんでこんな話したのかと言うと、魔夜峰央が『スピリチュアル漫画家!』でスマホやネットを「情報の押し売り」と言っていたからだ。むかし新聞が担っていたある種の役割が、ネットに移っただけじゃないかなと思って。マー、ネットの情報は、こちら側の取捨選択次第ではババ掴まされっぱなしになるのは否定出来んけど。

 と、書いたあと、メディアの分散とネットの普及による「ボツのないファンロード」問題や、情報の確度・精度は誰が保証するのかと言う点に思い至った。あさりよしとおさん言うところの「いい命令も、悪い命令も、コンピュータには区別する事は出来ない」と言う点が、コンピュータ(ネット)の利便性を担保しているのは確かだが、安全性(情報の確度)や(悪意に対する)耐久性も考えなくてはならないのでは。カマヤンさんのこの辺(ロボット三原則について)の受け売りではあるが、下記のツイートみたいな時代でもあるし。

昔はネットは集合知なんていわれていたが、今じゃちょっと知識がある人の書いた文章をパクった小遣い稼ぎのゴミ記事に埋め尽くされてるとか、なんかSFっぽい展開で面白い。

 ただ、ならばどうすればいいのかまでは分からない。マー、オレみたいな病人が思いつくくらいだから、頭が良くて社会的地位もある人もそこら辺は考えてるだろ。てなとこでこの記事はここまで。