走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

楽園待ち

 前述の「絵を描くのは、この世が楽園になってからでいいのでは」と言う言葉には、少し説明がいるかも知れない。エホバの証人は「ハルマゲドンのあとに訪れる楽園」に「入れるかも知れない」と言う事を希望に生きている連中で、今の世の中を悪魔が支配する「この事物の体制」と呼びそこでの成功に価値を見出だしてない。だもんでいい事や楽しみにしている事は、「楽園が訪れてから」楽しもうとしている連中が多い。マイケル・ジャクソンやテニスのウィリアムス姉妹や作家のミッキー・スピレイン山下洋輔トリオの森山威男(もりやま・よしお)みたいな、世間で成功した信者も(特にアメリカに)多いがな。

 しかしながら、連中の言うハルマゲドンは、1914年からとか1975年からとか、どんどん期日が延ばされ今や期日を区切る事も諦めた。韓国には、非正規社員に対し「いつかは正規の社員になれる」と言う漠然とした希望で拷問のような現状に耐えさせる事を指す「希望拷問」と言う造語があるが、エホバの証人のしている事こそ「希望拷問」であろう。大体オレが話聞いていた時期には、「1914年からの預言に記された事柄」を見た世代が生きているうちにハルマゲドンが起きるから、時間はないと言っていたぞ。あれから26年の歳月が流れた。時間は充分過ぎる位あったじゃないか! 信者に仕事やら子作りやら結婚やら恋愛やらを「時間はない」の一言で諦めさせていた癖に、信者の失われた希望はどうオトシマエ付けてくれるんだ!? ……失礼しました、取り乱しました。とまあ、エホバの証人の教団は、あまりにも雲を掴むような話を信者に「希望」としてちらつかせていたわけです。なんでこんな話に希望を見出だしていたのかな、昔のオレ……。トホホ。