走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

長崎の原爆忌に一言

 今日は長崎の原爆忌、6日の広島の原爆忌に広島のラジオ番組『ラジプリズム』の番組ハッシュタグでいろいろやり取りしたが、その時こんなツイートをした。

 オレの母親の諦めは、第二次世界大戦に翻弄された市井の人が感じていた無常観だったのかも知れない。だが、「次」を起こさせないように奔走した人たちがいたから、冷戦は終結出来たのではないかとも。最近また、きな臭いけどね。それはおいといて、オレはこんなツイートもした。

 「世の中は複雑なんですよ」と言って物事を単純化して、それから話が進まなくなるのは怖い。オレがラジプリズムを聴いているティーンに言えるのは、これくらいしかないが。そりゃ他にもいろいろ言ったけど、強調したくなったのはこのふたつ。

 いきなりだが、この話はここまで。来年、こう言う話が出来るように祈る。

どうしていじめられにゃならなかったんだ!?

 忘れようと言うか、思い出すまいとしているのに、最近よく中学時代に受けたいじめの数々を思い出してしまう。思い出したやつを詳述しようと思ったが、書くのが辛いし、めんどくさい。題名にも書いたが、どうしていじめられにゃならなかったんだ!? それにしても悔しい、いじめて来た連中のせいで、思春期の前半が酷い事ばかりだったもんな。……書いているうちに、またむなしなって来たわ。かえらぬむかしなのに、いくら言ってもな。と、書くと前向きな姿勢に見えるかも知れないが、うつ状態がキツくて文章書く気力もなくなっているだけだ。しかしながら、授業中に勉強の邪魔されたのは参ったと書いておく。当人が勉強する気ないならないでいいが、オレを巻き込むなと。

 それにしても、思春期の前半の三年間、ロクな事がなかったのはなあ。あの頃どうすりゃよかったんだと書いてから、それこそかえらぬむかしと思い直した。たとえば、あんなヤニ臭くて下品な連中にあわせる事が、幸せだったのかと言う事だし。あの頃死んでやればよかったかと一瞬思ったが、それで改心するほど打たれ弱かったら、連中はいじめなんかしてねえな。オレの中の当時のオレを、どうなぐさめ、元気づけてやればいいのか? 今のオレが精神病で苦しんでいるから、共倒れになりやしないかと心配である。だいたい、中学卒業してだいぶ経ってから、仕事中に男子中学生にいやがらせされたんだぞオレは! どんだけいじめられやすいんだよ! そう思うと、悲しくて悲しくて……。いじめやいやがらせはする方が悪いんだが、そんな理不尽に遭いやすいオレはなんなんだと。と言うか、男子中学生はどうしてあんなにアホなんだ! つける薬はないのか!? トホホ。

 内なる当時のオレをなぐさめる件だが、エロい絵でも描いてやるかな。今のオレのためだと無理はあるが、そう考えればあるいは。

ヘンだよね~、ヘンだよね~、誰かがヘンだよね~

 『ぼのぼの』の初期のギャグを、題名にしたのでぃす。そのぼのぼのだが、まんがくらぶの掲載分が一話完結ストーリーものの『ぼのぼのS』ではなく『いぬぼの』と言う、けったいなものに変わっていた……。ヘンなのねー! ヘンなのねー! ぜったいヘンなのねー! ……書けば書くほどむなしなって来たわ、60億あったらパペポやるか? それはさておき、空元気は空元気でしかないな。客観的状況に、なんら寄与しない。最近『ぼのぼの』読んでなかったから、ぼのぼのの話も続けづらかったし。それにしても、なぜオレは、ぼのぼのが好きなのか。かわいいキャラと深い台詞と、いがらしみきおならではのぶっ飛んだギャグに惹かれたからかも知れない。『いぬぼの』には違和感があったけども。シマリースリス、シマリースリス。これはオレが作った歌だが。

 ところで、オレはまだ絵を描くのが辛い。「ふーやれやれ、またか」と言われそうだが、ぼのぼのの話をしたら最近の4コママンガについて話をしたくなって、その方向で推敲していたら「なんでオレは、最近の4コママンガみたいな可愛い絵が描けねえんだ……」と言う方向に話が行って。それこそ「上手くなってから描く」じゃ絶対描けねえのに、就労支援施設での課題をこなせないようではとてもダメだと思い込んでしまっているし。講師はそんな事、一言も言っとらんのに。と言うか、なんで世間の絵描きやマンガ家は、躊躇なく自分の作品を発表出来るんだ。オレが精神病者である事を考慮しても、あまりにもあまりにも描けないので自己嫌悪が……って、その自己嫌悪が邪魔している気がして来た。47年生きて来て、粗暴な環境などにより自尊心がズッタズタだもんな。そこから、ゆっくりとでいいから立ち直らないと、描けるもんも描けん。

 とか書いていたら、絵描きとして孤立していた時期ほか、いろんな辛い過去がまたぞろ心の奥から出て来そうに。なんでこう、悪い方に悪い方にと考えが向くんだ。……余計な事考えないで、絵の練習しよ。

ひとり遊びに救われたり、「陰キャ」をいじめる奴の陰湿さだったり

 最近、読書したり絵を描いたりゲームしたりと言った、ひとり遊びが苦手になっている*1が、むかしはそれに大いに救われたんだよな。なんで苦手になったんだろう? 人付き合いをしていくうちに、孤独に耐えられなくなって来たのかも。マー、中には付き合わん方がよかった相手もいたが、それは今回言及しない。ひとり遊びに救われた話だけど、それが自分を自宅より広い世界に連れて行ったり、見知らぬ遠くの友に心を寄せる事が出来たからなんだが、近年そんな楽しさを感じられなくなった。持病の統合失調症陰性症状が想像力を奪っているからとか、前述のように人付き合いを覚えて、ひとり遊びだけじゃ満足出来なくなったのではとか考えられるが、どれも決定的な要因とは言えないような。正直、なんでこんな事になったか、自分でも分からないのだ。

 それにしても、たとえばひとり遊びが好きな者を「ネクラ」やら「陰キャ」やらと呼ばわり、いじめて来る奴らのどこが明るいんだろう? やってる事はかなり陰湿だってえのに。たとえば30年前、マル勝ファミコン誌上で、ある投稿人に「チョー気持ち悪いんだよてめー!」とか、「男のくせに女の絵が上手いやつなんて、ネクラで女にモテないやつに決まってらー!」とか、挙げ句の果てに「死にやがれ!」とか、「名無しで」絡んだハガキが載せられた。おまけに、故・中野豪が煽るようなマンガまで描いて……。流石に編集部は次の号で謝罪したが、名無しであんなハガキ出す方がよっぽど陰湿だよ。この件に限らず、陰湿ないじめをやってる側が「自分は暗くない」とか「マジョリティだ」とか「普通の人間だ」とか思える、ある種の能天気さはなんなんだろう? 「陰キャ」なオレとしては、戦わねばならない能天気さだと思うが。また、そう言う能天気さが、いじめの陰湿さを粉飾している気もするぞ。

 世の中ひとり遊びを頼りに生きるしかない者も少なくないのに、世のマジョリティはそれを理解しとらん……。オレの若い時分よりはマシになったが、まだまだ危なっかしい。と言うか、この話書いてたら気が滅入って来た。この辺で終わる。

*1:絵を描くのはコミュニケーションの一環足りうるが、ここではひとり遊びとして取り扱う。

結局パターナリズムやんけ!

 小林よしのりの「わしは弱者のためにも絶対強者になりたい!」って言葉、よく考えたら結局パターナリズムやんけ~! 事を成すにはそれなりに力が必要だからとうなずいてしまったが、パターナリズムお化けになってもなあ。

 いったいどうすればいいんだ、パターナリズムお化けにならず、自分も含めた弱者を助け出す方法はないのか? 「弱者死ね」の大合唱が続く今、残された時間もあまりない気がするので、いち早く知恵を出さんと……。

愉快マンガ宣言

 オレはここに、「愉快マンガ宣言」をしたいと思う。悪くなる一方のこの世の中だからこそ、愉快マンガでも描かんと。不愉快なマンガは、すでにあふれているこったし。差し障りがあるので、作品名を出しはしないが。とは言え、作品描かないと、言葉倒れにしかならん。どんな作品描こうかしら。「そんな事も考えんと、愉快マンガ宣言かよ!」とお叱りを受けそうだが、意外と形から入るのも悪くないですよ。

 なんでこんな宣言をするのかと言うと、『エスパー魔美』の高畑さんの、「冗談というのは、みんなでゆかいに笑えることをいうのです」と言う言葉に立ち返った愉快マンガを描く事で、少しでも世の中を明るく出来んもんかと。『いだてん』の田畑政治を気取るつもりはないが、『表現の不自由展』をめぐるごたごただの、最高裁憲法裁判についての資料が廃棄されただのと言った暗いニュースが多すぎな世の中を、読んでる間だけでも忘れられる愉快マンガを描きたくなったのよ。『いだてん』の田畑政治は、オリンピックを通してスポーツで世の中を明るくしようとしたのだが。それはさておき、オレは自分の不愉快を、マンガで伝染させようとしていたのかも知れないと言う反省もある。文章で不満を書いていても、共感どころか反響自体が少なかったのもあるが。押してダメなら、引いてみるしかねえよ。引いてもダメなら、また押すかも知れないけどにゃー。

 とは言え、客観的な状況次第では、この宣言もむなしいものになるだろうが。いえね、ちょっとあるエッセイマンガを描こうとして塩漬けにしていたら、世の中がいろいろ一気に動いて、今のネームのままでは話が噛み合わなくなったし。オレの筆が遅いのが一番よくないんだが、オレは精神病者だぞ。世間の健康なマンガ描きみたいに、すいすい描けるもんか。だからそれが腹立たしいんだっての! ガタピシガタピシ言いながら、動いちゃ止まり動いちゃ止まりのポンコツカー状態なのが。マー、いくら愚痴っても不愉快の共有にしかならない。愉快なマンガのネタを考えねば……。

 「あんたの言う愉快って、なによ」と言われそうだから、参考になりそうなツイートを下記に貼る。


[https://twitter.com/keiji19990514/status/1157910257319866369:embed#よく目にする「コレダモンナ」ってなんの事だろうって調べてみたら「鳩人間(妖怪)」の鳴き声だったのか。
また一つ賢くなってしまった。
レダモンナ。]

 そしてそれを受けてオレがツイートしたのが、これだ。

 ……こうして見ると何がどう愉快なのか、ますますわからん。マー、オレが珍しく笑わせる方向に舵を切ったツイートをしたと言う事で。コレダモンナ、コレダモンナ、ヨイヨイヨイヨイ。

地獄極楽キック責め!

 pixivで、風刺ホラーマンガ『ジゴサタ~地獄の沙汰もお前しだい』をよく読んでる。人間の暗部についてしつこく描いているマンガだから、決して愉快とは言えない。第一オレは、地獄と言うものに懐疑的だ。と言うのも、地獄に堕ちる罪状が決まっているのなら、現世の進歩はあり得ないからな。例えば、『今鏡』などで語られてる、紫式部が地獄に堕ちたとされる罪が今も有効なら、フィクション作った奴みんな地獄行きやんけ。そんな世の中でいいんか? そもそもどこの宗教の地獄像が正しいんだよ、それをジャッジする者は? そんな事を考えていたら、地獄と言うものに懐疑的にならざるを得ない。そう思っていたら、山上たつひこの「地獄と言うものは、その時代の『差別』と密接に繋がっている」と言う言葉に出会い、地獄に対する疑問はますます強くなった。日本の仏教では、「変生男子」(へんしょうなんし)と言って、女性は男性に生まれ変われなければ成仏出来ず地獄行きとされている。この思想がまさに男女差別をあらわしているではないか! だから地獄と言うものを教訓に使うのには、納得出来ないんだよ。前に、地獄を描いた絵本でしつけと言うのが流行った事があったが、すっげえいやだった。

 ところで、かつてオレの知り合いに「(女性が責められている)地獄絵図って、エロいよな」と言ったのがいた。意外と地獄絵図は、今で言うSMものとしての意図が込められて描かれたのかも知れない。『ジゴサタ』だろうと、エロい地獄絵図だろうと、それらに対するアンチテーゼを描けないオレはどうすればいいんだ。

 これは本来、予約投稿している『愉快マンガ宣言』と言う一文の続編として書いていたものである。だから「愉快」がどうとかいろいろ言っていたり。

うつ状態が酷くて

 最近、うつ状態が酷くて、どんどん捨て鉢になっている。見るもの聞くもの味気なく感じられるし、何より将来に希望が持てない。これから、塗炭の苦しみを味わいながら死んで行くのではないかと……。うつ状態が酷いと、こうまで絶望的に世の中が見えるのか。たまらんなあ……。

 いろんな人から気晴らしを勧められたが、前述のとおり見るもの聞くもの味気なく感じられるためアニメもドラマも見るのがしんどいし、ゲームもやる気になれんし、絵も描くのが辛い。うつ状態が、こうまで悪化していたとは! だからと言って、ぼんやりツイッターやっていたら、気が滅入る話題に呑まれそうになるし。と言うか、うつ状態を助長していたのは、ツイッターでは? と言う気がして来た。今通っている就労支援施設の話を知ったのも、ツイッターなんだけど。

 気晴らしの話に戻るけど、ようつべでゲームのプレイ動画を見てたり、飯動画を見たりはしている。それはいいんだが、韓国の屋台料理動画をよく見ていたら、ようつべは韓国を罵倒する胡散臭い動画も紹介して来やがった! 「いい命令も、悪い命令も、コンピュータには区別する事が出来ない」とは言え、なあ。いや、日本の現状が異様なんだが。……って、それを言い出すとキリがないので、この話は今は言うまい。「気晴らしの話ちゃうの?」とツッコミ入れられそうだが、書いていたらつい思い出して。また話を戻そう、なぜゲームのプレイ動画なら苦痛じゃないのか? 自分でプレイするのは、苦痛以外の何物でもないのに。アニメやドラマみたいな「物語」を、あまり追いかけなくて済むからか? こんな事言っても、閲覧者にはどうしようもないが。

 とか書いていたら、気が少し楽になった。ストレスが溜まっていたんかな。

その日の空も青いだろう

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 こないだ就労支援施設の帰り、エディオン広島本店の間で信号待ちしていて、ふと空を見て撮ったのが上の写真。エディオン広島本店のツインタワーの間の青空を撮りたかったのよ、分かんねえかなあ……。「ツイッターでやれ」と言われそうだが、このところ代わり映えしない話ばかりしていたので、たまにはこう言うのも。それに、すでにツイッターに挙げた写真だしにゃー。

 それにしても、だ。もうオレ、世の中に耐えられん。なんかこう、日に日に薄情になっているようで。後日予約投稿にも出て来る話と重複する*1けど、老若男女問わず新自由主義に毒されているようで。そのためネットもリアルも、「弱者死ね」の大合唱! 辛くて辛くて……。確かに、「弱者死ね」に異を唱える人もいるさ。しかしそれが、まとまった力になってない気がするのよ! なっているなら、竹中平蔵が失脚してもおかしくないのに。オレ自身も、病気やら経済的な事情やらで、警世家やってられねえし。弱者は、つるむ事も許されん社会なのか? トホホ。

*1:結局、その予約投稿は消した。

今日はこれでブログを打ち止めにする

 連投しすぎな気がするので、今日はこれでブログを打ち止めにする。

 実はここ何年か、過去にオレを苦しめた連中から受けた罵声が頭の中で聞こえる。統合失調症の陽性症状か知らんが、最近はますます酷くてフラッシュバックも出るし、そうなると楽しい事が出来なくなるし。しかし医者にいくら言っても、薬が増えるだけだ……。何のための医者なんじゃいと言いたくなるが、精神の薬を飲んでないと、入院する事になると言われたしなあ。オレは入院出来るような、けっこうなご身分でもなし。罵声とかフラッシュバックは、単に思い出すと言う話でもないので、すっげえ辛い。もういい加減、社会復帰はあきらめるしかないのか? 精神病でも、絵を描く事は出来そうと思い就労支援施設に通ってはいるんだが、それすら出来ないくらい悪化したんかなあ……。ならばまた薬が増えるだけかも知れんが、来週医者に相談だ。他に手がない。

 罵声やフラッシュバックにより、自己嫌悪が増幅するのも辛い。どないせえと? オレはこんな苦しみを味わうために、産まれて来たんじゃねえぞ! こんな精神状態では、ツイッターもいかんのかも知れない。あんな殺伐とした場所なんざ、心を病んでいる時に行くもんじゃないのかもと思う気持ちと、あそこでしか連絡が取れない相手がいる現実がせめぎ合うのも事実だが。

 と言うか、単にまだ不調が続いているだけかも。もう少し休もう……。